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民俗学の学習を通して、会員相互の親睦と向上を図ることを目的に事業を行う置賜民俗学会(守谷英一会長)が発行する会誌。同会の前身「置賜民俗研究会」は、昭和40年3月に発足し、令和7年で60周年を迎えた。その間、17年間活動に空白期間があったというから、色々なご苦労があったと推察される。さらに新型コロナ発生も要因となり、近年、同会の催しへの参加者が激減しているという。「同会の興味や関心が人々のそれとかけ離れたものとなっていないかと反省する必要もあると考える」と、守谷会長は巻頭言の中で述べている。
『置賜の民俗第32号』では、「温泉にまつわる民俗」を特集する。内容は、令和7年6月22日、米沢市北部コミュニティセンターで行われた「置賜民俗学会シンポジウム」の内容を掲載した。
ここ置賜には、小野小町伝説のある米沢市の小野川温泉、源義家の弟にあたる源義綱の伝承や江戸時代に米沢藩主の湯治場となった南陽市の「赤湯温泉」などがある。温泉場は、日常の労働を癒す「湯治場」としての役割、さらにそこからは様々な習俗や生業が生まれた。第32号では、温泉に関わる民俗の掘り起こしと、今に繋がる温泉の姿を考える内容となっている。
基調報告として、原淳一郎氏が、『近世の指南書にみる入浴習慣と温泉湯治』を講演した。原氏は、「日本は火山大国であり、2023年現在、日本の温泉地は2,867箇所あり、温泉地にまつわる神話や開湯伝説が多い」と述べ、古代の「日本書記」や「続日本紀」にも天皇が温泉を訪れた記録が残されているとした。近世になり、領主や庶民まで、季節ごとに湯治をする習慣が生まれたが、その背景には、『養生訓』を書いた貝原益軒(1630−1714)、『師説筆記』の後藤昆山(1659−1733)などの入浴の効果などを説く出版もあり、その入浴観などを分析している。
近世においては、湯につかる入浴や温泉での湯治の効果が評価され、さらに近代では温泉地の観光地化が進んでいく過程などを丁寧に説明していて、日本人と温泉の関係を解き明かしている。
角屋由美子氏は、『上杉鷹山の赤湯湯治など』をテーマに取り上げた。上杉鷹山は、米沢藩第9代藩主。角屋氏によれば、鷹山は、以前の乗馬が原因で膝蓋に悪液がたまり、さらに毒虫にさされたことで膝痛を抱えていたということだ。医師団は、保養も兼ね赤湯温泉に湯治を勧めた。膝痛は解決しなかったが、温泉効果ですこぶる元気になったそうだ。続く藩主の治広も痛風と考えられる母趾の腫れの痛みから赤湯温泉に度々行っている。藩主やその家族が温泉療法をしていたことが御典医や上杉家御年譜などの色々な文書を通して紹介していて実に興味深い。
高橋祥泰氏は、『米沢八湯』のそれぞれの歴史や現在の売りなどを紹介している。清野春樹氏は、『つげ義春と東北の温泉とアイヌ語地名』と題して寄稿した。
会員研究レポートは、全部で9編。江口儀雄氏は、荒砥高校社会クラブに在籍していた時の、クラブ顧問奥村幸雄先生と町内円福寺で見た「銅造観音菩薩立像」や、社会クラブでの思い出を記している。若い時の学びは、その後の人生にとってとても貴重なものであることが理解できる。守谷会長は、『草木塔研究覚書1』をまとめ、これまでの草木塔の調査研究の歴史を網羅した。一昨年亡くなった故加藤和徳氏の遺稿は、『置賜地方の板碑・厨子型板碑(追増)』について、並々ならぬ努力とフィールドワークによってまとめられた板碑の数々。置賜地方を中心とした場所と板碑の写真、そして前面と側面のスケッチがまとめられている。佐藤憲幸氏は、『社会と仏教と戒名』と題して、俗人全員に戒名が授けられるのは、日本だけであり、仏教伝来以降に根付いた日本固有の慣習について論考する。直江兼続の戒名についても触れていて歴史好きにとっては大変に興味ある寄稿である。「戒名」はいるのか、いらないのか、あなたにとって戒名とは何かなど、古くて新しい問題提供を行っている。この「戒名」を民俗学のテーマとして扱ったことは、私たちの生活や人生の身近であることから評価できる。
渡邊敏和氏が置賜民俗学会の51年から60周年に至るあゆみをまとめている。(評者 成澤礼夫)
置賜の民俗 第32号
発行所 置賜民俗学会(事務局 長井市九野本2078 島貫方)
電話 0238−84−7172
発行日 令和7年12月20日
頒価 1,300円(税込)