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書評『総力戦研究所と海軍第一委員会』 工藤美知尋著

1 令和7年は、「太平洋戦争終戦80周年」の年で、テレビや新聞などでも特集番組や記事を多く目にしたことだろう。山形県長井市出身で、日本海軍を始めとして軍事史に関する多数の著書がある日本ウェルネス・スポーツ大学教授(文章表現・政治学)の工藤美知尋氏が、令和8年6月、『総力戦研究所と海軍第一委員会 なぜ日本は負けると知りながら開戦したのか』を出版した。
 開戦当時、日米の国力(GDP)の差は、1対10程度とされている。当時、すでに自家用車が普及し、高速道路が整備されて繁栄を謳歌していたアメリカと、片や日本の田舎では、昔ながらの茅葺屋根の家に住み、人々はじゃり道を徒歩で歩いて移動するような日本が、どうしてあのような悲惨な戦争を始めたのか。しかも日本軍が進軍や爆撃したエリアは、北はアリューシャン列島から南はガダルカナル島、東はインドのインパールから西はハワイ島と、あまりにも広大すぎる。
 戦争は兵站の勝負である。戦艦大和が発射する砲弾は、1発が1,000円とされ、民家が1軒建つ値段だった。戦争を維持するための物資や兵士の数など、継戦能力がものを言うことは素人でもわかるはず。それなのに開戦当時の政治家や軍人は、泥沼の日中戦争がまだ続いている中で、何故、また新たに真珠湾攻撃を行い、日米開戦に突き進んだのか。評者にとっては、今も当時の開戦の判断は、日本政治の七不思議である。
 本書の発刊は、令和7年8月16日と17日に、「NHKスペシャル終戦80年ドラマ『シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜』」を放映したことがきっかけとなった。総力戦研究所初代所長の飯村穣陸軍中将の孫が、「祖父の描き方があまりに事実と異なる」として、NHK提訴したからである。
 国際情勢の研究と分析、教育を目的に創設された政府直轄の機関「総力戦研究所」は、戦後、「日本の敗北を正しく予測していた組織」と語られてきた。その警告を軍部と政府が無視したという考えが支配してきたが、著者は、本当にそうかと疑問を投げかける。
 総力戦研究所は、日米開戦を前に「英米による経済封鎖に直面した日本が南方に進出して資源を武力で確保したら、果たしてどうなるか」についての机上演習(シミュレーション)を行い、同年8月27日と28日に、近衛文麿首相や東條英機陸軍大臣などが列席する中、演習の成果報告がなされた。その結論は、「南方作戦では長期戦が必至となり、さらに北方問題の危険性もある。このため青国(日本)の国力はその負担に耐えられず、結局敗北に至る」というものだった。
 一方で著者は、昭和16年6月5日付の海軍国防政策委員会「第一委員会」による報告書「現情勢下ニ於テ帝国海軍ノ執ルベキ態度」が、対米戦争に舵を切った理由として重視すべきだと述べる。
 総力戦研究所の机上演習での「結局敗北に至る」という結論は、現実の国策を直接拘束するものではなく、むしろ、第一委員会の報告書こそが、「勝てるか否か」ではなく、「現状を打開するために何をすべきか」を優先した内容で、それは対米戦争の回避ではなく開戦を前提とし、「いかに短期決戦により主導権を握るか」が検討、実務的回答が示され、真珠湾攻撃による対米開戦へと日本を導くものとなったと著者は結論付けている。
 本書は、総力戦研究所を「敗戦を予測した組織」として神話化する戦後の理解を再検証し、実際の政策判断に大きな影響を与えた海軍第一委員会の実像に迫るもので、日米開戦の真実の理由を解き明かしたという意味で、まさに金字塔と言える内容のものである。
 太平洋戦争中に国内外で戦死した軍人軍属、そして米軍による原爆や空爆、引き揚げ途中で亡くなった一般人を含めると、日本人の死者の総計は、約310万人とされる。本書は、その人たちの御霊に捧げたいと願う次第である。(評者 米沢日報デジタル 成澤礼夫)

著 者 工藤美知尋
発行所 並木書房
発行日 令和8年6月20日
頒 価 1800円+税