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竹田 歴史講座

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書評 「ドナウ漂流」


92 著者、サイトユフジ氏は、1949年山形市生まれ。1973年に武蔵野美術大学卒業後に渡欧し、ウィーンを拠点に制作発表活動を行った。1988年に帰国し、現在は上山市に住み、日本、欧州各地で個展、展覧会、アート・フェアなどに出品している。また北山青史の名前で、文学活動、さいとゆふじ名で絵本の著作も行っている。 
 サイトユフジ氏は、1974年、オーストリア・ウィーンのナグラー小路三番にあるアパート3階で、他の3人の学生と共同生活を送っていた。一人は、アメリカ人でチェロ奏者のランディ、イギリス人でピアニストのサンチャゴ、二人は音楽アカデミーの学生。さらにドイツ人で農大生のハイモー。サイトユフジ氏はウィーン大学に籍を置き、美術史関係の講義を受講しながら絵を描いていた。
 本書は、サイトユフジ氏の自叙伝である。1970年代から今日までの日本の世相、美術史、そして15年過ごした音楽の都ウィーンの歴史、文化などを織り交ぜた内容となっている。
 なぜサイトユフジ氏は日本を離れる決心をしたのか。当時、世界中で大勢の若者が社会から離脱し、浮き草のように漂っていた。しかし、サイトユフジ氏は、ドロップ・アウトするつもりはなく、ヒッピーになるつもりもなかった。自分を成長させる居場所を探した。その場所とは、ドイツやウィーンだった。
 そのために日本でドイツ語の夜間講座に通い、ドイツの大学や語学学校の入学案内を送ってもらい、大学卒業と同時にドイツに渡った。その時が海外への渡航や飛行機に乗るのが初めての体験。ドイツのウルムで、ドナウ川と出会ったという。ドイツで2か月を過ごし、さらにウィーンに移り、ウィーン大学で語学講習を受けた。当時、オーストラリアには、「アジア・アフリカ諸国」からの留学生には、授業料を全額免除する制度があり、サイトユフジ氏もこれに該当した。
 そしてナグラー小路三番にあるアパートを見つけた。4人での集団生活が始まる。サイトユフジ氏がそこで彼らに見たのは、しっかりとした教養を身につけた成熟した大人だった。彼ら一人一人の生い立ちや性格、個性までこまかな筆跡で書き記している。その記憶力は驚嘆に値する。あたかも読者は、ウィーンの町、そしてそのアパートにいるような臨場感を感じるだろう。
 特に気があったハイモとウィーン市内を出かけ、ある日、ドナウを小舟で川下りをする計画を立てる。黒海に注ぐドナウ川は途中、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラヴィアを通り抜ける2000キロの長さになる。そして川下りのために、関係国のビザを取り、1974年4月2日、ついにその日はやってきた。サイトユフジ氏ら3人はオールを漕ぎ出した。そして通り過ぎる国々でのいろいろなハプニングがあった。4月12日、オールが壊れて350キロ下ったところでついに川下りを終えた。その後は、ヒッチハイクでアドリア海を目指すが、それはダメでサラエボに汽車でいく。16日にアドリア海に到達し、ウィーンへの帰途に着く。
 ウィーンを去ってから、ハイモーとは音信不通となったが、彼との出会いがサイトユフジ氏の生き方を決定したと述べる。あの川下りの旅は、人生の予行演習だった気がする。降りかかる様々な困難を自然体で克服していく、しなやかで強い魂。自分の価値観をしっかり持って、世間の常識とか、社会の制約とかを軽やかに超えて生きていくたくましさ。永遠に失わない少年のような感性。これらが読者の中に染み渡り、読後感がとても清々しい。
 ドナウ漂流は、2011年に北九州市が主催する第21回「自分史文学賞」で佳作(第2席)を受賞した。
平成30年12月に米沢市で開催した「遠藤桑珠遺作展」の実行委員会でご一緒したが、とても温厚な方だった。(書評 成澤礼夫)

発行者 岩井哲書肆犀
発 行 2023年3月31日
定価 1300円
 
(2023年11月26日15:45配信)