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寄稿者略歴
遠藤宏三(えんどう・こうぞう)
米沢市六郷町在住。公益財団法人農村文化研究所理事長。
令和4年12月19日午後8時40分、我が家で飼っていたオス猫の「タマ」が齢11歳7か月で死んだ。死因は白血病だった。同年6月に動物病院に入院したが、医者からは治らないから自宅で看病するようにと言われていた。
猫の平均寿命は15〜16歳とされる。猫の年齢を人間に換算すると、2歳で人間の24歳となり、それ以降は1歳毎に人間の4歳に相当するという。だからタマは人間でいえば、63歳で死んだというわけである。その死は私たち夫婦にはあまりにも早いものに感じられた。またその喪失はあまりにも大きく、妻共々、しばらくタマのことを話してはお互いに涙した。
よくテレビなどでペットロスという言葉を耳にする。ペットも家族の一員だから愛するペットを失ったことで、心の中にぽっかりと穴が空いた状態になる。私と妻もタマを亡くして、初めてペットロス状態を味わった。
夜中にタマは私の腕まくらで寝ていたが、タマのヒゲが私の頬に当たって私は目が覚めることがあった。タマがいよいよ力が無くなってきてヨロヨロしながらも、2〜3回、自分でトイレを済ませていた。だからタマのトイレと私のトイレで、私は一晩に4〜5回も目覚めるのが常だった。
私の住む地区では、お稲荷様が鎮守であり、犬は飼って悪いとされ、我が家でも猫は代々飼ってきたが、タマ猫は特別であった。タマは私が妻と口論していると、「ケンカはヤメロ」と間に入った。また81歳になる私は、昼寝をしないと体が持たない。賢いタマはそれが分かっていて、逝ったのかもしれないと思うような時もあった。共に生活した10年余年、猫ながら私たちの心は通じていたと思う。
タマは一人っ子なために、いつも母猫にピッタリとくっついて生きていた。こたつの中で母親と仲良く入っている。妻は猫アレルギーを持っているので、家の中で猫を2匹も飼うのは大変だった。妻はご飯を食べるのにも鼻にマスクをする羽目になり、アレルギー薬を飲むこともあったほどだ。そんなことに気をつかってか、タマは私にも妻にも懐(なつ)いて、いつも愛嬌を振りまいてくれた。
タマの日課は、隣の家に遊びに行くことだった。隣の家にも猫がいて、仲間同士だった。ある時、タマの首に紐をつけて散歩がてら隣の家に遊びに行った。猫たちはタマを見て驚いて逃げて行った。タマは紐から逃れようと大暴れした。考えてみると、タマはプライドを傷つけられ、面目丸つぶれを怒ったのだろう。
タマはとても優しい性格の持ち主であったが、時々、よその猫とケンカをすることがあった。自分の縄張りがあるらしく、それはそれは激しいケンカで、ものすごい声を出してお互いに威嚇し合っているのが遠くから聞こえてくる。ある時などはケンカが原因で高所から落ちたのか、牙を無くしてそれ以降は食事をするにも苦労するようになった。
私たち夫婦が自宅裏の畑で、ナス、キャベツ、スイカなどの苗を植えていると、タマは畑まで追っかけてきて、私たちの仕事が終わるのを草むらに寝そべって待っている。そして私が嫌いな蛇を見つけては、子蛇の場合は頭からカリカリ食べて始末してくれた。
(写真右=孫娘に抱っこされるタマ)
たまに夫婦で外出する時がある。出かける時に、「タマ、家の中で留守番だよ」というと、「わかったよ」と言わんばかりに私達の顔をじっと見る。そして同じ椅子にじっと座って、私達の帰りを待っていてくれた。その姿を見て、妻は「これは猫でも中々出来る事ではない」とタマを褒め称えていたものだった。
「生老病死」は、世の定め、私はタマが一昨年6月に動物病院に入院した際に、万が一のことを考えて、「賢猫院殿慎身人愛居士」という生前戒名を付けてやった。それは、「障子や畳を破る事もなく、人を愛し人に愛され、隣近所の猫と仲良く過ごしたとても賢い猫」という思いを込めてのことである。令和4年8月上旬に開催された農村文化ゼミナールに合わせて、宮城県気仙沼市に住む僧職の友人が我が家を来訪した際、私が付けた戒名とは別に、「金毛院隣朋大猫児位」という立派な戒名を付けてもらい、ありがたいことに生前経を読んでもらった。
(写真左=タマに生前戒名を付けてあげた)
タマが死んだ12月19日以降のことを振り返る。私はまず、タマが大変にお世話になった動物病院にタマの死を連絡した。次に段ボール(棺の代わり)にタマの遺体を入れて、その中をたくさんの花で飾った。そして仏間のある部屋にタマの棺を安置した。私はタマの好物だったタコの刺身をそこに供えた。
タマは耳をピーンと立て、首を傾げて中に横たわっている。「タマ」と呼びかけると、今にも「ニャオー」と答えてきそうな気がした。外で何かかさこそと音がすると、タマかなと思ってしまう。間もなく動物病院からお悔やみの文が届いた。
私は私自身の心の整理にと、タマへの弔辞を書くことにした。妻にも弔辞を書くように勧めて、夫婦で愛猫のために弔辞を書いて棺の前に捧げた。
弔辞
とても賢い猫でした。トイレはよろけながらも最後まで自分で行って済ませた。亡くなる前日、スマホの画面に埼玉県に住む孫の顔を映し出すと、頬を摺り寄せた。孫に「シッポパタパタ」と促されると、タマは苦しい最中にありながらパタパタしてくれた。現代の猫は、人間とITを通して立派に交流できるんだなと驚きながらその光景を見ていた。
死別の言葉を贈った。タマ、様々な思い出をありがとう。俺が死んだ時は迎えに来いよ。ここだ、ここだと知らせてくれよ。いつまでも忘れないよ。
遠藤タマ様
令和4年12月19日
遠藤宏三
弔辞
タマ、今度生まれて来る時は人間に生まれて来いよ。そして一緒にお話をしたり、食事をしたりしよう。タマは11歳7か月の生涯で、私たちにたくさんの幸せを与えてくれた。痩せて、すべてのエネルギーを使い切ってあの世に旅立ったタマ。抱いていると温かくて、まだ生きているようだった。賢い猫、タマが死んだ。
遠藤タマ様
令和4年12月19日
遠藤正子
タマの死から間もなく2か月を迎える。妻は、今、「石になったタマ猫」という題で、パソコンでタマの一生をエッセーにまとめている毎日だ。
私がたまたま畑で拾ってきた石に、猫のような文様が浮かび上がっている。私はタマが石の中で私たち夫婦をいつも和ませてくれているように感じる。