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竹田 歴史講座

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寄稿  小説「電脳パートナー」 二階堂たきえ

寄稿者略歴
 二階堂たきえ(にかいどう・たきえ)
 山形市在住。



【あらすじ】
 区役所に勤めるイケテナイ川崎のもとに、ロボットのセールスマンがやってくる。
ヒューマノイドタイプで役に立つと言われ、ローンで購入を決めるが、最初のロボットは故障続き。実際の人間そっくりな、開発中の最新式モデルに交換される。そのロボットに内蔵された記憶素子に、ある男の意思が余分に書き込まれていた。
 その男、茅場は銀行のシステムをハッキングし、架空口座に振り込まれた大金を持って高飛びしようとして刺され入院する。データの出元を探っていた森女史は、茅場の居場所を突き止める。しかし、もっと大きな企みが精巧なヒューマノイドタイプのロボットを大量に作っている彼女の会社の研究室で行われていた。茅場に絡んだパソコン少年のアツシ、研究所を調べに入った森女史、ナベさんは政界をロボットに入れ替えようとする企みを暴いていく。

第1章 プロローグ 奇妙な訪問者
             
6「川崎さんいかない?今度の週末ふれあいパーティがあるんだけど。王道の告白タイムもあるパーティだってよ。」
「おれ、いいですよ。あまりそう言うの興味ないし。」
 そんなパーティで知り合いになれるような女の人とうまく話が合うとは川崎には思えなかった。カレンダーに目をやると、40回目の自分の誕生日まであと1週間しかないのに気づいた。
「でも、機会は多い方がいいですよ。今は引っ込んでいたら、いい相手なんか現れないんだから。」
 なおも誘いかける村野を後に、書類を抱えて川崎は部屋を出た。
「むだですって、村野さん。この間、何て言ったと思います? 女の人の方から誘いかけてくるのって、自分の財産目当てのような気がするって言ったんですよ。貯金通帳と心中するつもりかしら。」
 湯飲みを配りながら女の子が言った。
「なんか古傷でもあるのかな。手痛く振られたとか・・・」
「どっか悪いんじゃないですか。機能面とか・・・。特に問題はハートでしょ。」
 村野は苦笑した。こういうのが相手では確かに、川崎あたりはやりこめられるか、貢がされて終わりかもしれない。
 村野は川崎の九つ年下だ。食品会社の営業をしていた川崎はリストラされ、村野は実家の鉄工所の倒産で二人は同じ時期に中途採用で区役所に入った。同期と言うことで気安く声をかけてくる。
 川崎はいままで結婚を前提に付き合った人はいない。異性に対しては奥手、というより親しく話すのは苦手である。自分は話し下手であることは分かっているが、気持ちをくみ取る事が出来ない女の人と顔をつきあわせて暮らすのはごめんだ。(さっさと今日の分の仕事を終わらせてうちへ帰ろう。)
 自分の部屋の座り心地のいい椅子を思い出した川崎は、家に奇妙な訪問者が待っていることなど思い浮かびもしなかった。

「あ、すみません!」
 夕方から急に天気が変わった。靴底に付いた雪のせいで急に足もとをすくわれて、川崎はよろめいた。その拍子に片腕に持っていた買い物袋を振り回した形になった。アパートの入り口にアタッシュケースをもって立っていた男は、ネギとダイコンでしたたかに打ちつけられるはめになった。
「晩御飯は"タタキ"ですか?」
 ネギの破片を肩に乗せながら、その男は怒りもせずにこやかに言った。川崎は買い物袋の中をのぞき込んだ。中のカツオまではみ出したのかと思ったのだ。
 "メカトロシステム研究所 晴野喜久夫"と言う名刺を出した男は、いかにもやり手のセールスマンと言う印象だ。
「あいにく、電気製品で足りない物はありませんし、教材でしたら間に合ってます。」
17 面倒な押し売りはごめんだ。
「いえ、川崎さんにきっと喜んでいただけると思ってうかがいました。一人だけの生活で感じている不便を解消できる非常に"おねごろ"の製品もございますし、説明だけでも・・・。ちょっと、ここでは何ですから・・・。」
 何のセールスに来たのか川崎にはまだ理解できなかったが、"おねごろ"と言うのと"生活の不便の解消"というのにちょっと心が動いた。
「私どもがお勧めしているのは"電脳パートナー"と言う製品です。週刊誌の通販のコーナーに載っているような怪しげなパートナーではありません。夜でなく昼、特にお役に立つ物です。」
 川崎の家のリビングあがった男はカタログを広げ始めた。
「今、特にお勧めはヒューマノイドタイプです。外見もグレードの高い物はロボットとは思えないくらいの出来ばえです。メイドが一人いる位の働きをします。ちゃんと自己学習機能も付いていますから、簡単にその日からお使いになれます。おためし期間に気に入らなければ返品して頂くこともできますし。最長48回までのローンも組めます。」
 川崎の目はカタログに吸い付けられてしまっていた。

 運送業者が汗を浮かべて運んできたダンボールは、玄関のドアをやっと通る大きさだった。箱を開けるとき川崎は少し緊張した。久々の大きな買い物だ。一番上に分厚いマニュアル。まずここで少し怖じ気づいた。気を取り直して緩衝材を取り除いてどきっとした。"一糸まとわぬ姿"でロボットが横たわっていたからだ。
 ヒューマノイドタイプとセールスマンが言った通りだ。特に女性らしい形が目について思わず赤面する。身体の方に比べて、頭部はそっけない作りだ。髪の毛が全くないつるつるの頭に続く顔の目に当たる部分には、直径1センチほどのカメラのレンズのような物がはめ込まれており、口の部分にはスピーカーの穴がいくつか開いているだけだった。
「のっぺらぼうだな、これじゃ。」
 もう少し高いオプションにしておけば良かったかもしれない。マニュアルの簡易版を見ると電源は家庭用コンセントから取れ、六時間の充電で約十八時間の作動が可能と書いてあった。さっそく、充電器のプラグをヘソのあたりにあるジャックに差し込んだ。
 コンセントから電源が供給されるのを示す小さなランプがジャックの脇にともった途端だ。微かなヒューンと言う音がしたかと思うと、ロボットは横たわっていたダンボールの箱の中からやおら上半身を起こした。そして確かに、その瞬きをしない目で川崎の方を見た。
「オカイアゲイタダキマシテ、アリガトウゴザイマス。ワタシハ、デンノウパートナー、カイリョウガタ2ゴウデス。ドウゾ、オコノミノ、ヨビナヲトウロクシテクダサイ。」
 マニュアルを全部読んでいない川崎は目を白黒させた。

 食事にしましょうと言った村野の声に返事はしたようだが、川崎は自分の座っていた場所から立とうとしなかった。もう一度振り返った村野は、川崎が一生懸命何かを読んでいるのに気づいた。
 マニュアルは専門的な言葉が多くわかりにくいこときわまりない。さすがに読むのに耐えきれなくなって壁に投げつけたくなったそのとき、"フルオートおまかせ操作"と言う項目が目に入った。
 普通うちの中にいて主婦がするような仕事を順にこなしていくプログラムが"おまかせ操作"を入力するだけで実行されるのだ。にわかに夕方の仕事が終わる時間が待ち遠しくなった川崎だった。
 うちに帰ったが、"おまかせ操作"を実行させるためのリモコンが見つからない。"電脳パートナー"はまだダンボールの箱の中から上半身を起きあがらせただけの格好だ。やっとロボットの尻の下から目的物を見つけ、マニュアルの通りボタンを押した。
「"オマカセソウサ"ヲセッテイシマス。ソノマエニ、ヨビナヲ トウロクシテクダサイ。」
 ロボットの口のスピーカーからの音が名前を付ける事をまた催促した。名前の登録はテンキーで50音のカタカナを呼び出してするようになっていた。面倒なので最初と次にでてくる「アイ」にしてしまった。
「ヨビナノトウロクガ オワリマシタ。ワタシノナマエハ アイ デス。」
 さらにおまかせ操作の細部設定で"新妻タイプ"と言うのを選んでみたのだった。

 ふんわりと暖かい香りがして目が覚めた。起き出してみると、食卓の上にトーストとスクランブルエッグが乗っている。
「オハヨウゴザイマス。チョウショクノジュンビガデキマシタ。」
 そう言ってロボットがそろそろとコーヒーカップを置いた。
(ううむ。なかなかいいぞ。高いローンを払う価値があるかも知れない。)
 黙って朝食がでてくるのは、2年前になくなった母親と二人で暮らしていた時以来だ。
 コーヒーを口に運びながらロボットを観察する。機械で人間と同じ形状の足を持って歩くと言うのはたいへん難しいと聞いた事がある。朝食がちゃんとでてきたところを見ると手の動きもだいぶ高度な事ができるようだ。

「ちょっと村野さん、あの人なんか言ってました?」
 朝の打ち合わせを終えて部屋をでようとした村野に、若い女の子が小声で聞いた。
「べつに、何も言ってなかったよ。」
「そうですかあ。絶対何かあったと思うんだけどなあ。大体川崎さん、朝、挨拶はするけど、いつも額にしわ寄せたままだったもの。今日はおかしい、ぼわんと顏がのびてる。宝くじでも当たったのかな。」
 マニュアルの"おまかせ操作"は、実に結構な事ばかり書いて有るようだった。川崎もそう思った。夕方家に帰り着くまでは・・・。
 家に帰り着いてドアを開けた瞬間、川崎は目をむいた。惨憺たる有り様だった。キッチンには、割れた皿が散乱、居間の飾り棚の上においた物はすべて床に落ちている。掃除機が轟々と音を立てて机の上にある細々した物を吸い込もうとしているところだった。その真ん中に立って、掃除機の取っ手とモップを持っているのは"アイ"だった。しかし、そのモップの先は床ではなく壁や天井に向けられていて、あちこちにシミを作っていく。
「何をしているんだ!」
 川崎は怒鳴ってしまった。
「タダイマ、セイソウチュウデス」
 レンズの目を川崎に向けてしばし手を止めた"アイ"は、抑揚のない声で答えて再びモップをふるいはじめた。
 川崎はリモコンを探したが、焦っているので動作の止め方が解らない。首の後ろの非常停止の赤いボタンを思い切って押した。これを押したらメーカーのエンジニアを呼ばないと復帰できないのを思い出したが、それこそ非常事態だ。非常停止を押された"アイ"のレンズの目から光が失せ、モップを上に上げたままの状態で止まった。
「これを見なさいよ、家中めちゃくちゃじゃないか。一体どう言うことなんだ。」
 すぐに連絡を取ったセールスマンがエンジニアをつれてやってきて、怒っている川崎に平謝りに頭を下げた。
「まだ使い初めてから2日目なんだぞ。それも"おまかせ操作"っていうメーカーお勧めの使い方しかしていない。こんなに簡単に壊れてしまって、しかも動作がおかしくなって、家の中に被害が及ぶのなら返品してもいいんだ。」
3「解りました、多分これだと思います。手持ちの部品で直せるところだけなおしておきます。距離センサーと対象物認識論理回路へのラインが異常なようです。」
 "アイ"の背中のパネルをはずしていたエンジニアがワークウエアのポケットにテスターをしまいながら低音の効いた声で告げた。
「距離センサーと対象物認識論理回路?それは一体どういう物?」
 エンジニアに尋ねようとした川崎の話を途中でさえぎってセールスマンが説明を始めた。
「距離センサーと対象物認識論理回路はこのロボットが動作するための、人間で言うと五感のうちの目からはいる情報と、それに伴ってふさわしい行動を起こすための演算回路になります。ここがおかしいようです。普通、距離センサーで掴んだ情報を元に色々な物の動きを類推して動き、フィードバックをかけています。データをグラフ処理してそれに修正をかけるわけです。」
 とうとうと説明されたが、川崎には演算回路やグラフ処理など物理、数学関係は特に苦手だ。
「とにかく私は正常に動いてくれればいいのだから。もう正常に動くのでしょうね?」
「大丈夫だと・・。動かしてみますか・・。」
 エンジニアの手で非常停止ボタンが解除され、再びロボットに電源が供給された。
「ズイブン、チラカッテイマス。セイソウヲゾッコウシマス。」
 "アイ"はそう言ったかと思うと、床にあった掃除機のノズルを取り上げた。モーターのうなりが大きくなる。最初にコップなど食器の破片が掃除機の中に吸い取られていく。動きに異常はないようだった。
「またおかしくなった場合はすぐに参上しますので、ご連絡ください。壊れた物の見積に明日の夕方、係りをよこします。」
 セールスマンとエンジニアはロボットの動きをしばし見ていたが大丈夫と思ったようで帰っていった。川崎も一安心して、ベッドにもぐりこんだ。
 異様な息苦しさを感じて目をさました時、それが湯気と煙のせいであることに驚いて、川崎は跳び起きた。火災報知器が鳴らないのが不思議な位だ。元は台所だ。川崎の目にレンジの前に立っている"アイ"の姿が煙って見えた。

第2章 追われる男

9 ダークグレーのコートの衿を立てて、小柄な男がビルの谷間からでてきた。年の頃は30前後だが、やつれた青白い顔の不精髭が実際より彼を老けてみさせていた。脇に抱えている黒いアタッシュケースの中には三千万の現金が入っていた。空港のロッカーに預けた荷物の中には、更に倍以上の金が入金された仮想通貨の口座のIDとパスワードが暗号化されて記録されたメモリがはいっている。
 うまく高飛びしなくてはいけない。黒幕に反社会勢力のついている大会社のマネーロンダリングのあとの金だから、最初からきれいな金ではない。その金が再び大会社の口座に戻ってくるのを、"ある筋"からの情報で掴んだのだ。
 彼はある会社のシステムエンジニアだ。ハッキングで銀行のオンラインに侵入し、打ち込んだパスワードにOKを返されたときには手が震えた。目当ての大会社の口座に振り込まれる筈の金を架空名義の口座に振り替えた。更に大部分を仮想通貨にも振り込んだ。
 彼が脇に抱えているのはその金の一部と言うわけだ。もちろんむき出しではなく、分厚い辞書の中をくりぬいて紙幣の束が隠されている。とにかく、相手にバレないうちに行動しなければならなかった。何しろ黒幕がいる会社だ。
 ビルの谷間を吹き抜ける冬の冷たい風に追われるように彼は足を早めた。空港へ向かうためにタクシーを止めようとしたときだ。視界の端を黒い陰がかすめた。ひそやかに、しかし確実に間を詰めてくる。彼は舌打ちをした。もう掴まれたか。
11 このまま空港に向かっては後の金の在りかを隠したメモリも向こうの手に落ちる危険がある。彼はタクシーを止めたが空港とは別の方向をドライバーに告げた。
「追われているんです、急いでください。後ろの車を巻けますか?」
 彼はタクシーの後を黒っぽい車が着いてきているのを認めてドライバーに懇願した。
「何ですってー、おっかけっこですか?面白そうじゃないですか、やってみましょ。」
 ドライバーは白髪混じりだがねじりはちまきをしめたほうが似合いそうなおっさんだった。タクシーのドライバーは面白がるだけあって、結構な走りをしてくれた。ビル街を抜けたところの片側4車線の道路を絶妙のタイミングで車線変更し、しばらく大通りを走ってから工場地域の裏道を走り抜け、何度も方向をかえながら堤防沿いの道にでた。
 発見される危険はあったが、追跡してくる向こうの車も確認できる。すすきや立ち枯れた雑草の間を目を凝らしてみたが、それらしい車が追ってくるのは見えなかった。
 男は目を皿のようにして車の中からすべての方向を確認し終わると、ほっとため息をついた。何とかまけたようだった。しかし既に追手がかかったのだ。横取りした金額の大きさと、金の出所から考えて命を狙われる事は十分有り得る。
「急いで空港へやってくれますか。」
「解りました。なんか向こうの車に乗っていた人たちは人相が良くなかったですね。追われているんですか、ドラマみたいだなあ。」
 男に答えた熟年のドライバーはやけにうきうきしている。空港のタクシープールについたとき、少し多めに料金を渡してつりはいらないといった男の後ろ姿をドライバーはしばし見ていた。
 空港の入り口に男が入ろうとしたちょうどその時だ。バスから降りた集団が男の後ろからどやどやと押し寄せた。その集団が入り終わったと思ったら、あの男が入り口のドアの前にがっくりと膝をつくのがみえた。様子がおかしい。
 車から走り出てたドライバーが見たのは、血の気を失って蒼白になっている男だった。
「大丈夫ですか!?」
 助け起こしたドライバーの手にぬめった感覚が伝わった。男の腹部には深く刃物が差し込まれていたのだ。そこからあふれた血がシャツを染め始めていた。
「大変だ、病院へ・・・」
「いや、俺の部屋につれていってくれ。そっちへ先に。」
 男の声は力なかったが、何かに取り付かれたような顔に変わっていた。気押されるようにドライバーは男の言った方向に車を走らせるしかなかった。
 男の住んでいるアパートは住宅地のはずれにあった。
 2階のその部屋に階段で上がれるのかどうかもドライバーは心配だったが、抱えられてほとんど気力だけで動いているような男はゆっくりと自分の部屋の鍵を差し込んだ。殺風景な部屋の中には不釣り合いなくらいの様々なコンピュータ機器が部屋の一角を占めていた。
 ドライバーは帰るに帰れず入り口に立ったままだ。なにしろ客の男の腹部には刃物がつき立ったままなのだから。ここで倒れて死んでしまうのではないかと気が気でない。
5 そんな思惑にかまっていられない男はコンピュータの前に座ると引き出しからヘッドセットの様なものを取りだした。電極がたくさんついたつばの無い帽子と言った方がよく形を現しているかも知れない。男はそれを自分の頭にかぶるとプログラムを走らせた。プログラムがどこかの回線に接続を開始した。
「このまま金を取りもどされてたまるか、折角いい暮らしが出来ると言うところまできたのに。」
 男は低く口の中で呟いた。既に、空港の入り口で抱えていたアタッシュケースを奪われている。しかし、空港のコインロッカーに預けているカバンは鍵がなければ取り出す事は出来ない。この鍵を俺が持っている限り。だが、コインロッカーの使用期限は1週間だ。それ以上たてば、取り出されて中身が解ってしまうだろう。この忌々しい腹に突き立てられた刃物の治療のために入院すれば1週間では出てこられない事は直感的に解った。なんとか期限までに取りに行かなければならない。
 パソコンの画面に"メカトロシステム研究所"のサインがでてパスワードを要求する。いくつかの文字を入力した。男がかぶっているヘッドセットに小さなLEDが点滅し出すのが見えた。その点滅はそのままデータとしてアップロードされていく。(そうだ、俺の意思と記憶だ。これが動き出すのはもうすぐだ・・)
 男はコートのポケットからカギを取り出すと窓際の植木鉢の中にそれを埋め込んだ。だが男の気力もそれまでだった。あたりが暗闇に沈んでいく。どこかで微かにドライバーの呼ぶ声が聞こえていた。

第3章 さくら色のワンピースを着た若い女性

 川崎は完全に"業を煮やして"いた。一度ならずも2度までこのいい加減なロボットに振り回されて被害は甚大だ。システムエマージェンシイで動きを止められたアイはキッチンに立ったまま彫像になっている。
 夕べからの騒ぎと寝不足のせいでひどい頭痛がする。今日は休みを貰おう。そう、川崎は決めた。
 川崎が例のセールスマンに連絡を取るとすぐにくると言う。"もうこんな機械はいらない、すぐに引き取ってくれ!"と、どなりたい気分だったが相手が低姿勢だったので目の前に現れてから苦情を言う事にした。
 彫像のアイは桜色に見えるボディを光らせながらぴくりとも動かない。 
 やってきたセールスマンの晴野喜久夫は平身低頭した。
「役に立つからと君が言うから信用して高いローンを組んだんじゃないか。それがこの騒ぎだ、責任を取って欲しいね。」
「ごもっともです。今日はすぐに回収させていただきます。ですが、耳寄りな話しを持ってきました。当メカトロシステム研究所の最新の製品を明日までにお届け出来ると思います。CPUや色々な技術的要素が更にグレードアップしています。価格は改良型2号と比べると2倍ほどになりますが今回は特別にモニターということで、金額の方はそのまま据置にさせて頂きます。絶対のお買い得品です。どうか解約などとおっしゃらずに使ってみてください。」
 (絶対のお買い得品かあ・・・)
 セールスマンの言葉に川崎はちょっと心が動く気がした。

16 窓際の観葉植物の肉厚の葉を見ながら彼女は背伸びをした。目の前のコンソールにはオレンジいろの表示が次々と流れ去って行く。
「森さーん、まだいかないのー。」
 パーティションの向こうのドアが勢い良く開いて後輩のミユキが顔をだした。口紅を引きなおし華やかなスカーフを巻いている。
「うーん、もう少しなんだけど。明日の朝までにプログラムに入れるキャラクターを選んでチェックをかける仕事が入ったの。営業の方から随分せかしているんだって。」
「えーっ。それじゃ今日の送別会には森さんでられないの?他の課の男の人たちがっかりするだろうなあ。まだまだかかるの?」
 ミユキが赤い唇をとがらせて、コンソールをのぞき込んだ。
「うーん、あとすこし。例の最新版の電脳パートナーに組み込むキャラクターなの。」
「でも、チェックもある程度自動で、書き込みも自動で記憶素子に入れられるんでしょ。明日の朝まではちゃんとできあがってるって。早くいって良い席取りましょうよ。総務の東山さんの隣とか。」
「ははーん。ミユキはそれがお目当てなわけだ。」
「東山さんと同期の森さんと一緒だったら話しもし易いし。お願いしまーす。」
 ミユキが拝むように顔の前に手を合わせたので、森女史は微笑んで立ち上がった。

 新製品に組み込む記憶は、会社が買ったものだ。記憶のデータを入れた後は、AIが自分で学習して動作なり言葉を出力できるはずだが、おおもとの記憶のデータは入れてやらなければならない。森女史は自動セーブの器材の方にもスイッチとコマンドを入れて部屋をでた。
 彼女達が部屋をでた直後にコンソールに変わった表示が出始めた。外からのアクセスに応答を始めたのだ。チェックは一時停止し、次々と文字と記号の羅列が現れ始めた。コンソールのオレンジ色の表示のスクロールは果てしなく続くかに思われた。画面に流れている表示の内容は見ているだけでは何なのか全く解らない。しかしその流れが止まった後、森女史の打ち込んだ指示の通りの処理をコンピュータは再開したようだ。連動する記憶素子書き込みの装置も動き始めた。
 記憶素子に書き込まれたキャラクターは、最初のデータよりも余分な物がだいぶ入っているのだが、機械の方は忠実にそれを収容していき、最終にコンソールにノーマルエンドの表示がでた。
 しばらくして、自動的にすべての電源がOFFになった。
 朝一番にその部屋のドアを開けたのは、あのセールスマンである。その後から森女史が駆け込んできた。
「ああ、森さんちょうど良かった。キャラクターを貰って行きます。せかせて申し訳有りませんでした。おかげ様でユーザーに迷惑を掛けないですみますよ。」
 森女史は少し焦った。いつもより早くでてきて、自動で済ませてしまったキャラクターの書き込み状態だけでも確認しようと思っていたからだ。
「それじゃ、急ぐんで貰って行きます。」
 セールスマンの晴野は小走りに部屋をでて行ってしまった。森女史はまだほんの少し気がかりだった。

 夕方、いつものように買い物袋を下げて、川崎は自分の家へかえってきた。
 彼の部屋に通じるエントランスの前に二人の人間が立っているのにだいぶ近づいてから気がついた。
 勢い込んで近寄ってきたのはセールスマンの晴野だ。セールスマンの脇には春らしいさくら色のワンピースを着た若い女性が立っていた。
 川崎が少しどぎまぎしたのは彼女がかなりの美形だったからに他ならない。
「さっそく商品をご説明しますから、お部屋の方で・・・」
 セールスマンがそう言ったので、代替えのロボットは部屋の方に届いているのかも知れないと思った川崎は、二人の前に立って歩きだした。
「いかがでしょうか?」
 部屋へ着いたときセールスマンがそう言ったが、出かけたときのままの部屋だし何も届いた物はない。
「前のロボットには"アイ"と名付けて頂きましたので、今回も取りあえずその名前を登録しておきました。」
12「アイです。よろしく。」
 全くロボットには見えなかった。前の"アイ"とは天と地ほどの違いだ。ちゃんと顔がある。しかもその皮膚の色つやは若い女性のものだ。話し方もおかしくない。
「本当にそうなんですか?これが?」
「ええ、まだ開発中ですが、人工聴覚チップとそのモジュールシステムで相手の話し声に込められた感情を理解するだけでなく、自分の感情も伝えられます。動作もより人間に近くなっています。」
 セールスマンが説明を始めたが、川崎はほとんどそれを聞いていなかった。

「川崎さんはどこへいったか知らない?」
 書類の封筒を両腕いっぱいに抱えた職員が川崎の机の前で聞いた。
「もう帰りましたよ。だってもう時間ですもの。」
 反対側の並びの机から竹田さんが答えた。時計は確かに課業時間終了の十七時を五分ほどまわっている。書類を持ってきた若い男の職員はがっかりした。
「あの人はいつも早いんです。。」
「でも、今日はさらに早いんじゃないですか、なにかいい事でもあるみたいに朝からそわそわしてたもの。彼女と会う約束でもあるんじゃないですか?」
 竹田さんの後を受けて村野がいった。
「彼女?まさか・・・。どんな人と?」
「解りませんよ。運命の出会いというのがあるかもしれないじゃありませんか。」
 脇で所在なげに立っていた職員は、あきらめてため息を付きながらまた腕いっぱいの書類の封筒を抱えて部屋を出ていった。
 そのころ川崎は鼻歌を歌いながら、家路を急いでいた。2代目の"アイ"は実にすばらしかった。川崎がどんな話題を持ち出しても即座に反応が返ってくる。聞くべき所は聞き相槌を打ってくれる。家事も完璧にこなす。なんと言っても見てくれがロボットとは思えないくらい人間らしく、かわいらしい恋人が出来たような気分なのだ。家に向かう足どりが軽くなるのは当たり前だった。

第4章 アッシ少年

「聞きました?!ユーズウエアの茅場さん、刺されたんですって。入院したときは息も絶え絶えで、全治2カ月って言ってましたよ。」
 夕方ミユキがかけ込んできて森女史の耳元でささやいた。
 ユーズウエアはコンピュータ関連の人材派遣会社で、茅場はシステムエンジニアとしてこの会社にも仕事をしに来ていた。電脳パートナーのキャラクターの設定方法の開発は彼の力によるところが大きかった。ひらめきで仕事をするタイプで、仕事は出来るがあまり人付き合いがいい方ではなかったと思う。
「刺されたって言うのは穏やかじゃないわね。個人的に恨みでも買ってたのかしら。」
 森女史が独り言のように言ったのに俄然ミユキがのってきた。
「痴情怨恨って線も考えられなくはないですよぉ。影のあるところに惹かれることだってあるし。」
「ミユキちゃんだったら、影のある人でも大丈夫よね。」
「あー、また課長みたいに"トイレの100ワット"なんて言わないでくださいね。」
「なに?"トイレの100ワット"って。」
「トイレについた100ワットの電球。"無駄な明るさ"ですってー。ひどいですよね。」
 森女史は、言い得て妙だとつい笑ってしまった。週末なので1週間分のログデータを確認して保存しようとして森女史はふとその記録の何行かに目を止めた。研究所内のLANからではないアクセスが記録されている。外部からだ。この部屋の中のコンピュータは直接外部からアクセス出来るようにはなっていないはずだったのに。それも、ちょうどキャラクターが書き込まれている時間。不安が苦い水のように体を浸し始めたのを感じた。

 森女史はシステム管理室の主任にメインサーバーのアクセスを調べてもらった。内部のLAN経由、外部からVPNのアクセス、相手方のIDが打ち出され始めた。
「とくに私の所のシステムへのアクセスが知りたいんですが。」
「そっちへの内部、外部ともアクセスはその日は有りませんね。でも、変だな。」
「変って何がですか。」
「LANの受けの番号が二重になっているんです。いつ書き加えたんだろう。森さんが言う時間に確かに外部から入ってますね。」
 佐々木が示すプリンタの出力用紙から、森女史はしっかりと相手のIDを書き取った。

 病室の白い天井を見上げながら男はいらついていた。茅場である。自分が意識を失ってからここへ運び込まれたのはわかっている。かすかに救急車から手術室にはいるところの記憶があった。
「すみません、今日は何日ですか?」
「今日は四月十七日ですよ。まる3日眠っていたから。出血がひどかったから心配だったけれどもう大丈夫。」
 茅場の所へ回ってきたナースは穏やかに答えて彼の脈をとった。まる3日眠っていたとすると、彼の記憶を取り込んだロボットはそろそろ動いているのではないだろうか。もしかしたら、既にメモリの入ったカバンを取りに行ったかも知れない。茅場の頭の中でロボットの動向を知りたいという思いがつのり始めた。しかし、ベッドに寝たままの状態ではそれもままならない。
 彼のベッドサイドの棚の上にあのヘッドギアがのせられていた。何とかして自分の記憶が書き込まれたロボットの動きが知りたかった。

「お隣さんが入りますからよろしくね。こちらにはいる方は明日手術ですから今日、明日は検査で少し出入りがあるかも知れません。」
 ナースが言い終わらないうちに入院の大きな荷物を持った女の人の後に続いて痩せた男の人が入ってきた。
「どうぞよろしくお願いします。今野と言います。」
 神経質そうな40歳台初めの男の人は丁寧に茅場の方を向いて挨拶した。頭を下げた茅場が顔を上げたとき、その後ろにいた子供と目があった。10歳くらいだろうかころっと丸い体型をした男の子だ。だが、目つきが大人びている。
 荷物を置いた後、今野と名乗った男の人とその妻らしい女の人は検査のために部屋をでていった。子供は二人がいなくなった途端自分の鞄の中からノートサイズのコンピュータを取り出して広げ始めた。それを見たとき、茅場の頭の中にひらめいたものがあった。
2 その男の子はベッドの脇の台の上にノートパソコンを置くと、キーボードで一生懸命何かを打ち込み始めた。半端な早さではない。しばらくすると納得したらしく、今度はゲームを始めた。その時の表情は子供らしかった。
「今日は学校は休みなの?」
 普通の子供なら小学校に行っている時間なのに気づいた茅場が男の子に聞いた。一瞬いぶかしげな表情で隣のベッドに横たわっている茅場を見たが、すぐに視線をはずした。
「休みじゃ無いけど休みなの。パパは入院だし、今日は気分が乗らないから。」
「そうか、ゲームの方が楽しいんだ・・・」
 茅場がいうと男の子はむきになって答えた。
「僕はただのゲームをやっているんじゃ無いよ。これは僕が作ったんだ。設定を替えて今、登場キャラクターの動きを速くしてみたところ。完成したらネットのコミュニティにアップする予定なんだ。」
「へえ、自分でゲームが作れるのかい。僕もプログラムには少し詳しいんだ。読み込んだ画像を動画に加工するソフトやちょっと便利なツールが家には沢山あるんだけどな。」
 話しを聞いた途端、少年の目は輝きだした。
「動画の加工が簡単にできるのがあるの?ゲームの中で動くキャラクター画像の編集がすぐに出来たらいいなあ。他にどんなソフトがあるの?。」
「家に行けばたくさん有るんだ。もし、きみ暇があったら僕の家に行ってとってきてくれないか?ついでに頼みも有るんだけど。」
 茅場はこの子に望みを託した。彼の部屋の中にある機械を持ってきて貰って、病室からアクセスを掛けてみようと思い立ったのだ。自分で"アツシ"と名乗ったこの少年は茅場の色々な話しに身を乗り出してきた。
「わかった、これだけの物を持ってくればソフトくれるんだね。ちょうどハードディスクの容量の大きいのも欲しかったし。」
 最後の言葉は要求のようだ。茅場がメモする機械のリストを見ながらアツシ少年は完全に乗り気だった。
 アツシ少年はアパートの鍵を差し込んで部屋のドアを開けた。部屋の一角にあるコンピュータののっている棚の前に行くと、茅場にいわれた品物を次々と持ってきたバッグの中にいれた。ノートパソコン、スマートフォン、データの記憶されているカードの入っているケース等だ。
15 デスクトップのパソコンに電源を入れてみたい誘惑にかられたが、「なるべく速く」と茅場が注文を付けていたので次の機会にする事にした。もう一つの注文で植木鉢の中の鍵を捜してみたが、見つからなかった。
 バッグは結構重たくなっていた。それを抱えてドアを閉めようとしたときだ。急に途中でドアが閉まらなくなった。
 黒いサングラスを掛けた男が、ドアの上の方を掴んでいるのだ。男は長身なので、アツシ少年はカメのように首をすくめて上目使いで男を見上げる格好になってしまった。
「ぼうや。何か大事な物を預かったんじゃないかい。おじさんに見せてごらん。」
 その声の響きは冷たくすごみがあった。
 この場は逃げなければいけないと判断したアツシ少年は持っていたバッグをいきなり振り回した。かなりな重量になっていたバッグはブンと風を切って男のみぞおちとドアを押さえていた腕に当たった。男が手を離した瞬間にアツシ少年は男の脇をすり抜けて走り出したのだ。
「待て、このガキ。おい、捕まえるんだ。」
 敵は一人ではなかった。階段の降り口にもう一人同じ様な黒服、黒いサングラスの男がいるのが見えた。その男がアツシ少年に向かって走ってくる。
 両腕を広げて男の子を捕まえようとする男の"弁慶の泣き所"をめがけてアツシ少年はバッグをたたきつけた。
「ギャオ」
 派手な悲鳴を上げたその二人目の男はその場にうずくまった。
「なにしてるんだ逃がすな。」
 アパートの階段を重い荷物を持ちながら走るのは年齢にしては身体が大きいとはいえ小学生には結構ハードだ。追いつかれそうになったその時、アツシ少年は一計を案じた。
「火事だー、火事だー!!」
 大きな声で叫ぶと、管理人室や近くの部屋から食事中らしい茶碗と箸を持った人まで廊下に飛び出してきた。二人が怯んだすきに、少年は玄関から外へ飛び出して行った。
「そうか、襲われたのか。怪我はなかったかい?」
「大丈夫さ、使うのは頭だもんね。そんなに簡単にやられたりしないよ。」
 茅場の心配そうな顔をよそにアツシ少年は得意げに鼻をふくらませた。
「でも、ちょっと振り回したりぶつけたりしたからパソコンが心配なんだ。」
 衝撃吸収材いりのケースのおかげか取りあえず動作がおかしいという所はない。
「いわれた場所には鍵は入っていなかったよ。どこか他の場所とか、思い違いはないの?。」
 こんどは茅場が問われる立場になってしまった。(思い違いか・・・。)
 傷のために意識がもうろうとしていたので、少し自信のない茅場だった。
 最新型のロボットは動作のデータを取るため、定期的にジャーナルと言われるコンピュータの日記のような物が研究所に送られる事になっているはずだ。茅場は持ってきたパソコンで研究所へのアクセスを試みた。アツシ少年が興味深げに画面をのぞき込んでいるのに気づいて茅場はあわてて電源を落とした。


第5章 研究所に向かったアイ2号

 森女史はある男の所にいた。一応職業は"著述業"と言う事になっているが、自分で取材してきたネタを雑誌なりに売って食べている。探偵の真似事もする。森女史とは学生時代からのつきあいで、"困ったときのナベ頼み"というのが仲間の合い言葉だったのだ。ハッキングについても詳しい。
「VPNの方からはいたって言った?検索できるようにかえてみるから。OK、OK。IDを貸して。これが二つ目のIDだね。ふたつめは、やっぱりな。すぐには解らないように小細工して有る。サーバーなどを幾つも経由してどこからつないだか隠そうとしているんだ。気にくわないな。森さん、出来ればアクセスしてきた時間の詳細が解ればありがたいな。」
 ナベさんがディスプレイ画面半分ほどのコマンドを打ち終わったと思うやいなや、画面には見たことのあるアドレスがでてきた。それを見た森女史は息を飲んだ。彼女も知っている出入り業者の茅場が使っていたものが現れたからだ。(いったい何のために茅場は、あのシステムにアクセスしたのだろう。)森女史の頭の中に色々な事が渦を巻き、頭痛がした。森女史は意を決して茅場の入院している病院を訪問する事に決めた。
(確かにロボットはコインロッカーにカバンを受け取りにいった。)

 そう茅場は確信した。仮想通貨口座のIDとパスワードが暗号化されて記録されているメモリは、カバンの中のデジタル一眼の中に隠されている。カメラの他に望遠レンズも入っていて、カバンは結構大きく重くなっている。
13 アツシ少年に持ってきてもらったセット一式でメカトロシステム研究所のコンピュータにアクセスし、ロボットの行動記録のジャーナルのコピーの中から判断したのだ。16進コードの数字の並びの中から、ロボットが居住場所から何キロも移動し、同じルートをたどって戻ってきたのを読みとった。
 しかも、その後どこにも出かけていないことからカバンはまだ手元にあるはずだ。
 茅場はこのアクセスを記録から消すコマンドを打ち込んだ後、回線を切り放し膝の上にパソコンをおいたまましばらく考え込んだ。メモリの入ったカバンをそのままロボットのいる場所において置くわけには行かない。なんとか手に入れる方法はないだろうか。
 茅場はベッドから降りて立ち上がろうと試みた。まだ腕などに点滴のチューブがぶら下がったままの格好だ。床に足が着いたと思ったその時、下腹部の傷に痛みが走った。痛みは思いがけなく脳天を駆け上がり脇の下に冷や汗え滲んで視界が一度に白くなった。思わずうめき声が漏れた。
 白くなった視界に飛んだ星を見ながら茅場は納得せざるを得ない。確かに動くのはまだ無理なようだ。傷はだいぶ深いのかも知れないと絶望的な気分に襲われた。
 ひょっこりとドアの向こうからアツシ少年が顔を出した。彼の父親は今日も検査のためにすでにベッドからいなくなっていた。
 
「何か解ったの?」
 アツシ少年が入ってきて小声で聞いた。どうやら自分が持ってきたパソコンを通じて茅場が何かを調べようとしていた事、何かを手にいれたがっている事を察知したらしい。見た目より洞察力のある子供のようだ。
「ああ、羽があったら飛んでいきたいね。でもこの有り様じゃ病院の外にでる事すら出来ないな。」
 茅場は目を閉じて独り言のように言った。
 アツシ少年が身を乗り出してきた気配を感じて茅場が目をあいたとき、アツシ少年は自分を指さして目を輝かせていた。得意げに目を輝かせていた顏を見た瞬間、茅場の頭の中に色々な考えが一瞬のうちに駆けめぐった。
「大丈夫だよ。もしこの間みたいにおじさん達が襲ってきてもうまく逃げる自身はあるよ。そのかわりうまくいったら僕に部屋の中にあったディスクのレコーダーとCPUくれない?」
 このパソコン少年は茅場の部屋の中にあった光磁気ディスクのレコーダーとCPUが最新式の物である事をしっかり見てきたようだ。それを報酬に欲しいと言うのだ。 アツシ少年を危険にさらす事にいくばくかの後ろめたさを感じながら茅場は賭けてみようと思った。
「じゃあ、頼もう。ただし危ないんだ。今、詳しい事を教えるから。」
 茅場は再びパソコンを取り上げ例の16進コードのファイルの分析を試みた。手や足に送られたシグナルをつなぎ合わせていくとどうやら玄関を入ったあたりで暫く立ち止まって手を動かしたらしい。その後の人工筋肉の加重から、結構な重さの物をそこで離している。間違いない。そこにあるはずだ。
 ロボットの購入者である川崎という男の住所をプリントアウトしてアツシ少年に渡すと彼は思いがけない事を言った。
「僕この建物にいった事有るよ。隣が友達の家なんだ。間取りも同じ階はみんないっしょなんだって、友達のお母さんに聞いた事があるし。」
「え?じゃあ、玄関に棚か何か有るのか?」
「うん、げた箱から何からみんな隠れるように扉つきの天井までのロッカーになっ
 てる。」
「そこだ!そのロッカーの中を捜して欲しい。多分黒い革のボストンバッグが入っ
 ているはずだ。」
 そこまで茅場が熱っぽく言うのを聞いたアツシ少年は急に上目使いになった。
「それを持ってきたら盗みだよねえ?」
「いや、それは俺の物だ。空港のコインロッカーにいれていたのは俺なんだから。ただロボットに持ってこさせるようにしただけだ。約束の物はちゃんとやるから何とか持ってきてくれないか。」
「わかったよ。じゃあ、そのスマホ貸してくれる?代わりにこれ持ってて・・・。何かあったら連絡を入れるから。」
 アツシ少年は上着から子供用のアクセス制限付きスマホ取り出して茅場に渡し、茅場のスマホをポケットに入れると部屋をでようとした。そしてドアの所で親指を立てる仕草をしてかなり自身ありげに笑ってみせた。

 翌日の夕方、アツシ少年は脇にこぶりの段ボールの箱を抱えて友達の家のブザーを押していた。川崎の家の隣だ。
「とても面白いゲームがあるんだ。いっしょにやろうよ、塾にいく前の時間で攻略法を覚えられるから。」
 でてきた友達はそれを聞くと嬉しそうにアツシ少年を中へ招き入れた。しばし二人でゲームに興じた後アツシ少年が聞いた。
「ベランダの鳥の巣まだあるの?」
「うーん、巣はまだ有るんだけどもう鳥はいないよ。」
 ゲームに気を取られながら友達が答えた。前に来たときにベランダの上の方にある装飾のへこみに鳥の巣があって二人でのぞき込んだのだ。
「ちょっとみせてもらっていい?」
 アツシ少年はベランダにでた。その手に段ボールの箱が握られていた。彼はその箱を隣の部屋との境のついたての隙間から押し込んだ。さらに手じかにあった箒の柄でずっと真ん中の方に押しやる。
「細工は上々・・・ってね。20分後だな。」
 腕時計を見て嬉しそうに呟いて部屋の中へ戻っていった。そろそろ塾の時間になろうと言うところでアツシ少年は友達にいとまを告げた。
「5.4.3.2.1。よおし、いくぞ。」
 なにが"いくぞ"なのか。アツシ少年は川崎の家のドアの前で秒読みをした。そして勢い良くインターホンのボタンを押した。
 ややあってドアが開くと、中年の男性が顔を出したのに向かってアツシ少年は叫んだ。
「ベランダから煙がでているよ!火事じゃ無いんですか!?」
「え、火事?!」
 泡を喰った川崎は急いで中に駆け戻った。その後に続いてアツシ少年も駆け込んだ。(必殺、火の無いところに水煙だい。3倍の使用量だからね。)
 なんとアツシ少年が時限装置に組み込んだのはゴキブリ殺しの発煙殺虫剤だったのだ。それがベランダの隅のプランターの陰で盛大に白い煙を吹き上げていたのだ。
 訳が解らず川崎が右往左往し、ついでに煙りにむせているすきにアツシ少年は玄関のロッカーを調べ始めた。全部開けてみたがそれらしい物はない。閉めようとしたロッカーの扉が重くなった。
「またあったね。今度は何を捜しているんだね、坊や。」
 その声を聞いたアツシ少年は、心臓をぎゅっと掴まれたように感じた。例の黒服の男が、そこにいた。
「捜し物のようだね、実は私たちも捜している物が有るんだが 君の方が良く知っていたら教えて貰おうかな・・・。カバンだろう、そこに入っていた物は。しらないなんてまさか言わないだろうね。君は入院しているあの男とは親しいんだろう?」
 穏やかな言葉遣いだが、やはり有無を言わせぬ迫力があった。 その場でアツシ少年は冷たい汗を背中に感じながら棒のようにつったっていた。
「何なんだこれは・・・」
 と煙にむせりながら川崎がベランダの方から帰ってくるのと、玄関のドアからもう一人の男が入ってきたのがほとんど同時だった。黒服の男が口を開いた。
「やあ、川崎さん。だいぶひどい煙がでていたようですね。でもこっちの用事の方から先に済ませてもらえませんか。お宅の電脳パートナー"アイ2号"の行き先を教えて貰いたいんですがね。」
 急に声をかけられて川崎はきょとんとした表情だった。それでも、言葉遣いが丁寧だったので痛む喉を押さえて何とか答えた。
「"アイ2号"ですか?メンテナンスの予定ということで、研究所の方に先ほどでかけました。それが何か?」
「この間出かけたとき"彼女"は何かを持って帰ってきました よね?ご存知ですね、黒い革の鞄を。」
1 黒い革の鞄といわれて川崎は思いだした。得体の知れない自分の知らない荷物が玄関にあったのを確かに川崎はみた。しかし、彼自身はそれを開けて見なかった。『メンテナンス用^メカトロシステム』というタグがついて鍵がかかっていたからだ。
 だが、今すべて扉の開けられた玄関のロッカーの中にはその鞄は無い事に川崎は気づいた。持っていったのは"アイ"なのだろうか。
「知っている事はみんな話して貰わないと少し手荒な手段に訴えなくてはならなくなりますよ。」
 黒服の男の声は更にすごみを帯びてきた。
「あのっ、私は中に何が入っていたかしりませんし、なくなっていたのも今気づき
ました。本当です。」
「そうですか。それは残念です。いや、良かったと言うべきかな。」
 黒服の男はそう言ったかと思うと、後から入ってきた男の方に顎をしゃくった。
 後から入ってきた男はどこかの会社の作業着姿だったが、見覚えのあるその大きさは、アツシ少年が茅場の家でこの男と合ったときに一緒にいた相棒のものだった。
 その男は上着のポケットから何かを取りだしたかと思うと、川崎に向かってスプレー状の物を撒き始めた。ほんの数秒後、川崎はそのまま床の上にくずおれた。
 首をすくめたアツシ少年の口には同時にガムテープで猿ぐつわがかませられ、両手が背中でねじ上げられたかと思うと頭から何かがかぶせられた。

第6章 研究所に侵入

4 森女史はドアの前に立って深呼吸した。ドアの向こう側の病室には茅場がいるはずだった。何故、どうやってあの日茅場、がキャラクターの書き込みをしている途中の森女史のオフィスのシステムにアクセスしたのか確かめなくてはならない。
 ドアを開けると二つあるベッドの片方は空だったが、窓側の方に横たわっている人物がこちらを向いた。確かに見覚えのある茅場の顔だ。その顔に驚きが浮かんだと同時に安堵の表情に変わったのを認めて森女史は不審に思った。
「森さんですよね。来てくれたのがあなたで良かった。書き込まれたキャラクターの件で来たんですよね。実は私がまいた種で大変なことになりました。あなたなら助けてもらえるかもしれない。」
 森女史が口を開くより早く茅場が口にした言葉は、さらに彼女を驚かせた。助けるとはどう言うことなのか。真意を測りかねて森女史は黙ったまま茅場を見つめた。
「あの日、書き込まれていたキャラクターに追加されたのは私自身の意思と記憶です。ここにあるヘッドセットで送られた信号が、あなたの所のシステムに追加のプログラムと一緒に送られたのです。そのキャラクターを搭載した電脳パートナーが数日中に動き出すのは知っていました。私も開発のプロジェクトに加わっていたのですから。」
 ここまで話すと茅場は一息つき、立ったままだった森女史にイスをすすめた。茅場はベッドの上に起きあがったが、表情をゆがめて下腹部を押さえた。どうやら刺された傷はかなり深く重傷のようだと森女史は思い、黙って話を聞くことにした。
「私は高飛びをするつもりで、仮想通貨の口座データの入った荷物を空港のコインロッカーに隠しました。その途中でこのざまです。なんとしても、そのデータを取りに行きたかった。だから、あのとき送られた私の記憶の中で一番強く電脳パートナーには認識されたはずで、実際コインロッカーに行きました。電脳パートナーが持ち帰った荷物を手元にもってきてくれるのをあの子に頼んでしまったから・・・。あいつらに捕まったらしくて。」
 茅場は子供用のスマホを取り上げて森女史に渡した。スマホは"HELP,0391208088"と表示されていた。"助けて"のあとは電話番号なのだろうか。
 森女史がそれを確かめようとしたその時、ドアが開いた。病室の中を覗き込んだのは"なべさん"だった。
「わかったぞ、森女史。良くアクセスしていた相手の本当のIDが。驚くなよ、電脳パートナーを実際に作っているお宅の会社の工場の研究室だ。そしてもう一つがこの病室の患者だ。」
 森女史に寄ってきて彼女に低い声でささやいたなべさんが、スマホの表示を見て目を丸くした。
「おい、どうしてこの番号が解ったんだ?」
7 スマホに表示されていたのは、なべさんがあっちこっちにアクセスして、つないだデータからやっと引き出したその番号だったからだ。
 なべさんはガタのきかけた愛車のハンドルを握っていた。隣には森女史が乗っている。
「大丈夫かなあ、荷が重すぎるんじゃないか。大体あんな怪我を人にさせるような奴等が相手だぜ。もう警察にまかせてしまった方がよくないか。」
「とにかく行ってみたいの。工場には入れると思うわ。知っている人が管理部にいるし。前に何度か来たことがあるから施設もある程度解る。どうやってアツシ君と言う男の子がこの場所に運び込まれたか解らないけれど、外から来た人は必ず正門を通らなくてはならないの。だから入った車くらいは聞けば解ると思う。」
 後込みしかけているなべさんに森女史が言っている言葉は、本当は自分を励ます言葉でもあった。良く知っている筈の自分の会社の製造部である。しかし、なにか不穏な意志の動いていることも感じているのだ。ここの研究部から営業とプログラムを開発をしている部署に、森女史が知らない間にアクセスしてなにかをしなくてはいけない訳が分からない。
 工場の正門が見え、車が中に入っていくと守衛が出てきた。
「本社の者です。管理部の中村さんにお願いしていたんですが通っていいですか?それから会社の人のじゃない車は今日は何台くらい入ってますか?」
 森女史は身分証明書を見せ、知り合いの名前を言った。いったん引っ込んだ守衛が戻ってくるのを冷や冷やしながら待った。知り合いにはまだ連絡をしていないし、今日残っているか定かでない。すでに課業時間を2時間近くすぎているのだ。
「管理部にまだ人が残っていますから色々なことはそっちで聞いてみてくれますか。」
 制服の帽子から出ているもみあげがほとんど白くなった年輩の守衛は、森女史の出した本社の身分証明書を見て信用したのか入門証を渡した。車はゆっくりと構内へ入った。
「どっちへ行くんだい?管理部はこっちだな。」
 なべさんは道順を示した立て札に従って進んだ。
「ええ、そっちへ。でも、管理部で止まらないで。そのまま奥へ行って左よ、そっちが研究部なの。」
 なべさんの車は言われたとおりの建物の脇に止まった。
「いくわよ。」
 森女史が降りて車のドアを静かに閉めた後ろからなべさんがおよび腰でつづいた。
ドアを押すとかすかな鉄のきしむ音を立ててドアが開いた。 非常灯しかついていない廊下を静かに進む。
「おい、大丈夫なのか?企業秘密を守るためのセキュリティシステムなんて言うの
があるんじゃないのか。いきなり非常ベルとかなったら縮みあがっちゃうよ。」
「ええ、あるわ確かに。でも、この建物は特別なの。工場自体はとても気を使っているのだけれど研究所の所長がちょっと変わった人物なものだから、いつでも研究者が出はいりできるようにアラームをはずしてしまうの。それで管理部にいる私の知人はいつもこぼしているわ。管理部のセキュリティの担当と研究所長は犬猿の仲ですって。さっきアラームがはずされているのは確認したわ。」
 腰が引けた状態で歩いているなべさんに森女史が説明し、さらに続ける。
「天才と何とかは紙一重と言うけれど、本当かもしれない。ここの研究所長は夜中にひらめくと車をとばしてやってきて、何日も泊まり込むなんてザラなんですって。ほかの研究者も似たりよったりらしいわ。セキュリティに無頓着でも強くいえないのは、ずば抜けてすごい技術を持っているかららしい。この研究所は工場のブラックボックスと呼ばれているの。」
 森女史は一つのドアの前で立ち止まった。カード読みとりの機械に守衛所でもらった入門証を通すとロックのはずれる音がした。中の気配をうかがいながら静かに中に入ったていく。部屋と言うより倉庫を区切っただけの、むき出しの天井につりさげられた蛍光灯の薄暗い光だけがたよりだ。足下の線を踏んだ次の瞬間、脇の方でなにかが動いた気配があった。薄闇の中でなにかが光る。音も立てずに近づいてくるものの影。
「き、きた。」
 なべさんはその場で身構えた。光っている物は対になっている。目玉だ。中で番犬でも飼っているのか。薄闇の中から現れたのは犬などではない百獣の王ライオンではないか。そいつが額にしわを寄せ牙をむいている。肩の筋肉が動いているのは飛びかかる準備をしているようだ。うなるように牙が見えかくれする。猛獣の形をしたロボット?でも、本当に飛びかかってこないという保証はない。
 後ずさったなべさんはこんどは足下の段差につまずいてしりもちをついた。ぐいとライオンが乗り出してくる。悲鳴が出そうなのをかみ殺した。髭の一本一本が見えるくらいに近づいたちょうどその場所で、ふっとライオンの目の光が失せた。後ろから続く物も動きを止めた。
「どうやらさっきコードを踏んだ拍子に実験中のセットの電源が入ってしまったようだわ。大丈夫?メインの電源を切ったからもう襲っては来ないわよ。」
 なべさんと少し離れて床に這いつくばっていたように見えた森女史はしっかり操作盤を見つけていたのだ。
「こんなロボットもあるのか、寿命が縮むよ。」
「表情の制御なんかは外のコンピュータにつながれているから実験段階ね。私も初めて見た。でも、一番新しいヒューマノイドタイプはもっとすごいわよ。私も驚いたもの。」
 声を潜めて話していた二人の耳に何かが倒れる音が入ってきた。扉の向こう側に確かに誰かがいる。森女史達はさらに用心深く足音を潜めて隣の部屋との境のドアに近づいた。
 ドアのノブを静かに回すと、本当に微かな音がして外側に開いた。開いたと言ってもほんの10センチほどあけてみただけだ。
「こら、いつまでもロボットを触ってないでそこにおけ。それより鞄をこっちによこすんだ。」
 二人の男が何かを運んで来て話しているのが聞こえた。更に扉の隙間から覗いてみると、床に横たえられているのは女だった。いや、ロボットと男が言ったと言う事は・・・。
「ほらほら、お客さん達ももう来ているぞ。お出迎えだ。」
 男の一人がそう言ったかと思うと足早に森女史達が覗いているドアに歩み寄った。
なべさんと森女史は身を翻したが何歩も歩かないうちに大男に襟首をむんずと掴まれて部屋の中に引きずり込まれ、中央のソファの上に乱暴に放り出された。
「あの少年のスマホでメッセージを入れて置いたから、お客さんには遅からず来ていただけるとは思ってましたよ。本社のお嬢さんがこられるとは予想外でしたがね。」
 黒い服を来た小柄な男がそう言いながらナイフを二人に突きつけている間に、大男はソファの右と左の肘掛けに森女史達を一人ずつ縛り付けていた。森女史が目を壁に向けたとき、自分達が覗いている事がすぐに解った原因を知った。
10 目の前の壁の大きなモニタースクリーンが4つに区切られ、森女史達が入ってきたドアがそのひとつに映し出されていたのだ。仕掛けられていた罠に見事に二人ははまってしまっていた。
「じゃあ、ここの電話番号を入れたのは・・・。アツシ君はどうしたの!なぜこんな事を。」
 森女史の少しうわずった質問に小柄な男は唇の端を歪めて笑いながらすごみのきいた声で答えた。
「あんな男に関わりを持つからいけないんですよ。お嬢さん。大丈夫、あの少年は
そっちの隅のダンボールのなかで夢を見てますよ。ここでみんなで明日の朝まで待って貰いましょう。余計な事をみんな忘れたらおうちへ返して上げますからね。」
 そこまで言い終わると男は顎をしゃくった。大男がなべさんには手早く、森女史には少し丁寧にテープで猿ぐつわをかませた後、男達は部屋をでていった。

第7章 エピローグ 国家的陰謀

 なべさんと森女史はそれぞれ自分がソファに縛り付けられた手足を何とか解こうと身じろぎしていた。しかしロープは食い込むばかりで外しようがない。
 ロープをあきらめた森女史は今度は顔を、縛られた手にこすり付けて顔のガムテープを外しにかかった。磨いていた爪にうまくひっかかって丁寧に貼られた森女史のテープがはがれた。
「なべさん、ソファを移動させるわ。あのロボットを動かすのよ。」
 森女史は2m程先の床に転がされているロボット"アイ"の方を顎で示した。二人は同時に腰と縛られた両手で蟹の横ばいのようにずるずるとソファを引きずりロボットのほうに近寄った。森女史がつま先でロボットの背中をむき出しにして、ボタンを足で押しながら回すと、スイッチボックスの蓋が開いた。汗だくになりながら慎重にいくつかのボタンを押し、最後に赤いふたつのスイッチを同時に足の親指で押し上げると、ヒューンと言う音がしてロボットの電源が入った。
「ひょー、大したもんだね。足芸の大家になれるよ。それに色っぽい見ものだしね。」
 いつのまにか口のガムテープを外したなべさんの視線を感じて自分を見ると、森女史のスーツのスカートは、腿が完全にあらわな状態までずりあがっていた。
「なべさんはガムテープを外さない方が仕事が進むわ。」
 森女史は真っ赤になりながら腰を動かしてスカートをなおした。
「テストジュンビ、カンリョウデス」
 床に寝た状態のまま、抑揚のない声でロボットが喋った。森女史は次の指示を与えた。
「立ちなさい。」
「タチマシタ。ヘイコウジョウタイ、イジョウナシ。アシノ、カンセツノドウサ、イジョウナシ。ヒジノドウサニ、イジョウガアリマス。ゲンインハ、ツヨイショウゲキヲウケタタメデス」
 ロボットもあの二人に痛めつけられたのだろう。
「こちらへ来てロープをほどきなさい。」
 森女史の声に答えてロボットはロープを解きにかかったが、結び目はかなり締まっているし、肘の動作がぎこちなく、なかなか解けない。
「なにか切る物を捜して切断しなさい。」
 指示を受けたロボットは机の引き出しの中からカッターナイフを捜しだした。
「おい、大丈夫か?加減は解るんだろうな。」
 なべさんは急に心配になって森女史にささやいた。
「たぶんね。何ならなべさん先にやって貰う?」
 表情のないロボットがカッターナイフを構えて近づいてくるのは確かに気持ちのいい物ではなかった。カッターナイフが時計に当たってカチリと音を立てたのに冷やりとした。
「本当はこんな動作じゃないのよ、わが社の製品は・・・。」
「愛社精神だねえ。」
「ちがうわ、製品に対する自信よ。今のは基本的な動作の一つ一つをチェックするためのモードにしてあるからなの。」
「わかったわかった、製品の説明はいいから早いとここっちのロープもたのむよ。」
 森女史はロープをほどくやいなや部屋の一角にあるコンピュータに向かった。なべさんは、アツシ少年がいると言われた段ボールの箱の中を覗いてみたが確かに男の子が寝息を立てていた。安心して別の箱を覗いてみた。
「おい、こいつはいったい何なんだ、森女史。そっくりさんロボットの展示館でも作ろうとしてたのか?」
14 最初開けた箱の中は、人気TVニュースの女性キャスターにそっくりなのだ。一つくらいなら、そういう好みの注文もあるかも知れないが次々とでて来たのは、次期首相と目されている大物政治家、元首相や財界の大物、そんなのがぞくぞくと瓜ふたつの顔に作られて箱の中に納まっていたのだ。しかもまだ開けていない箱は壁ぎわに高く積んである。
「コンピュータのデータに面白い物がたくさん見つかったわ。パスワードを捜すのに少し手間取ったけれど・・・。箱の中にいるロボットは意図的にキャプチャーで詳細
なデータをとってそっくりに作られたようよ。驚いたわね、一つの内閣が作れるほどの政治家の数よ。これに本社にあるようなシステムで本人のキャラクターが書き込みできたらどういう事になると思う?」
 その想像と計画を実際に動かそうとしているものの大きさに、愕然として二人は顔を見合わせた。
 手近にあったUSBメモリに読みだしたファイルをコピーすると、例のなべさんのガタのきたセダンの後部座席にアツシ少年を隠し、二人は脱出の準備をした。
 車に乗せられる直前、一瞬目を覚ましたアツシ少年は細かい黒い固まりが、さーっとロボットの段ボールにつぎつぎ出入りしているのをみた。
「まっくろくろすけ・・・」
 また眠りに落ちた彼には見えなかったが、箱の中では小さな点滅が繰り返され出入りが終わると研究所の換気口から外に出て行った。
 門のところでナベさんは何か言いたそうだった守衛に入門証と袋にはいった物を窓から差し出した。袋の中をのぞいた守衛はすぐに門をあけるボタンを押しに、守衛所にはいっていった。
「いったい何を渡したの?」
「三途の川にも渡し賃がいるっていうじゃないか。缶ビールだよ。」
 ナベさんは車がいつホテルに変わってもいいように、飲み水や非常用食糧も積んでいるという。

 建物の中は騒然とした感じだった。森女史を伴って訪れたのはなべさんの先輩がいる警察の建物だ。階段を上ったところで廊下を曲がってきた人とぶつかりそうになりあわてて避けたなべさんが、急にその人の上着をつかんだ。
「藤木先輩、なにかあったんですか?」
「ちょっと今忙しいのが入ってるんだ、酒を飲む話なら後にしてくれ。」
「酒じゃないんです、事件ですよ。それも国家的規模の陰謀なんですから。国会議員なんかも関係するかもしれない・・・」
 それを聞いた藤木の目が変わってなべさんに向き直った。
「その陰謀というのは何だ、手短にはなせ。」
「その前に紹介します、彼女は森さん。私の大学の後輩ですが彼女の会社の研究所で不思議なものをたくさん見つけたんです。国会議員なんかのロボットですよ。*村議員のもあります。」
 それを聞いた藤木の目が光った。
「*村議員だと。おまえどこかで今日の事件のニュースを掴んだか?」
「ニュース?知りませんよ。夕方から森女史と一緒にイスにくくりつけられたままだったんですから。」
「そうだろうな、知ってたら困る。まだ報道管制中なんだ。いいか外に漏らすなよ。今日の昼、*村議員の拉致未遂事件があって動いている。もう一人所在が不明になっている議員もいるようだ。」
「キャラクターを集めはじめたのかも・・・」
 森女史がつぶやいた。
「あなたもなにか知っているんですか、拉致の原因になるものを。じゃあ、しっかり教えてもらおう。」
 藤木は別室で二人に椅子を勧めると、自分も座ってタバコに火をつけた。
「のんびりタバコを吸っている暇はないかもしれませんよ、先輩。証拠が隠滅されてしまう前に押さえないと・・・。」
 なべさんは身を乗り出して、力説した。

 藤木の動きは早かった。二人の話を聞き終わると捜査令状を取り、早速研究所に乗り込んだ。警察のトラックに次々と"証拠品"であるロボットの箱が積み込まれた。そのひとつを開けたとき藤木は口が開いたままふさがらなかった。所在が不明だと聞かされた議員がそこに横たわっていたからだ。手をかけて揺り起こそうとして、ロボットだから動かないと一緒にいったなべさんに言われても信じがたかったのだ。
「驚いたぞ、あの人は良く知っているんだ。あれが本物じゃないなんて。」
「でしょう、だから大変なんですよ。あれが本人の記憶を書き込まれて大挙して入れ替わってしまったらどうです?」
 なべさんはまだ信じられない顔をしている先輩にたたみかけた。
「うむ。確かに国家的陰謀だ。あのUSBをもう一度良く調べさせてもらうが、技術的なことを彼女に良く聞きたいな。彼女の会社の研究所なんだろう?彼女は内部告発者という訳なのか?」
「いや、陰謀に関しては全くのカヤの外ですよ。彼女の仕事に入ったじゃまを追っていって行き着いたんですから。事情聴取もいいですが、口の滑りもいいようにアルコールが入るともっといいですね。二人だけじゃなくて三人でお願いしますよ。」
「おい、また俺の懐をあてにして飲もうっていうのか。」
「いいじゃないですか。詳しい事情が解ると事件も早く解決するしまた給料も上がりますよ。」
 にやっと笑ってなべさんの肩をたたいた藤木は、仕事の顔に戻って警察の車に乗り込んだが、またなべさんの脇に来て報道管制のしかれている旨念を押した。なべさんは気をつけをして右手の指を額につけ敬礼のまねをして見せた。

「どう?、首はつながってるかい。」
 会社の中庭で昼御飯を口に入れようとしていた森女史は声をかけられて振り向いた。あの夜から10日ほどたったウィークデイの気持ちよく晴れた日だった。
「あらいやだ、なべさん。変なときに声をかけないで。」
「その食欲を見るとあまり立場は悪くなってないみたいだな。もしかして、会社の都合で配置転換とかされてめげているんじゃないかと心配したんだ。」
「研究所と会社のお偉方の一部が荷担してたみたいだけど、私たちの方にはおとがめなしよ。会社乗っ取りの裏の動きもあったのが表面に出たようだし。株主総会はあれそうよ。でも、私にはあまり関係ないもの。配置転換で倉庫番になんか回されるんなら自分で別の仕事をするわ。」
「いや、たくましいエンジニアだ。さすが森女史。でも、今回の件でああ言うロボットは造りずらくなるんじゃないのか?。」
「少しの間はそうかもしれないわ。でも、時代の要請があればまたはじまるでしょ
う。何を言われても口答えしないで電源の入っている間中黙って動くのはコストの
面から見ても申し分ないし、面倒な人間関係に悩むこともないしね。福祉関係には
かなりいいとおもうのよ。」
「ロボットは自分がロボットだって事を考えもしないって事だから黙々と働きつづけるんだろう。」
「哲学的な問題だったのね。考えるようにプログラムすればいいんだわ、哲学的な
思考を。思想問題で議論する事もできる電子頭脳も作られるのは時間の問題よ。」
「でも、いまの社会の中では要求されないだろうな。それこそ内閣全部ロボットで占められるような事態になったら困るじゃないか。」
「そうね。そうなったらロボットと言うよりはアンドロイド、人造人間ね。でも、そんな内閣になったら不眠不休で国民の問題を解決してくれるかもよ。理想的よ。」
「人工頭脳が人間以上の働きを持つのはそんなに遠くない将来とは思うけれど、国の最高機関がそいつに牛耳られてしまうってのは考えても余りいい気持ちはしないね、俺は。」
 なべさんはまだ何かいいたげだったがやめて、森女史の隣に腰を下ろすと、コンビニで買ってきたおにぎりを頬張った。

 新聞には証拠として、研究所のロボットが押収された事は隅に載ったがどんなロボットだったかと言う事は伏せられた。陰謀が大きすぎて政府機関の方からストップがかかったのだ。この事案はクーデターに匹敵する事とみなされ、社会不安を引き起こすと考えられたようだ。
 なべさんは大スクープを物に出来ると思っていたのに、こちらからも管制をかけられてがっかりした。そのかわり、経済界の陰の黒幕の率いる会社が大々的に捜査の手を入れられた記事が同じ社会覧に載っていた。例の茅場が現金を引きだした会社だ。
 こっちに手が入れば、茅場達にも追手が二度とかかる事はないだろう。
 病院のベッドの上で茅場はため息をついた。現金も手元にはないし、怪我はなかなか直らないしさんざんだ。でも、命あってのものだねかとあきらめの気分だった。

 別の所でおにぎりを頬張りながら、こっちもため息をついている男がいた。川崎である。調子が非常にいいと思っていた"アイ2号"は帰ってこなくなったと思ったら、急に警察から証拠品として押収すると連絡があったし、損失が非常に大きいのだ。
 それに、しばらくの間ロボットとはいえ"家族"がいたので、一人の部屋に帰っていくのが寂しく感じられてしかたない。
「お茶のお変わりいかがですか?」
 空の湯飲みにお茶をついでくれたのは臨時で職場に入った女の子だ。取り立てて美人であると言うわけではないが、素直でおっとりとした感じの20代半ばで川崎にもほっとする感じがする。
 あまり人間嫌いも良くないかもしれないな、と女の子の入れてくれたお茶を飲みながら川崎はつぶやいた。
 閑散とした区役所の前の木立の上で、他の鳥の巣を乗っ取って育つという"カッコー"が元気のいい声で鳴き始めた。
 初夏がやってくる。平和な役所の窓の外は明るかった。
                                (おわり)