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米沢市上杉博物館は、直江兼続(1560〜1619)没後400回忌を機に、改めて兼続の業績を着目する意味から、4月21日(土)〜5月27日(日)の会期で、特別展「直江兼続 兼続と新時代を切り開いた人たち」を開催している。
(写真左=70点余りの史料が展示中)
兼続の生きた時代は、戦国時代から関ヶ原の戦いを経て、江戸幕府が開かれ、江戸時代へと世の中が大きく変わっていく中で、兼続は主君の上杉景勝とともに、上杉家としてその変化を推進していく立場にあった。
今回の展覧会は、兼続の生涯を網羅的に扱うものではなく、何人かの具体的な人物を取り上げて、時代の変化に兼続とともに関わった人物に着眼して、兼続や上杉家の動きを紹介している。
4月21日、同館学芸主査の阿部哲人氏によるギャラリートークが行われた。
第1章は「豊臣政権と兼続」と題し、石田三成を中心とした豊臣政権の有力者との関係を紹介した。第2章は、景勝の仲介で秀吉に従った伊達政宗に着目して、「伊達政宗と兼続」をテーマにしている。第3章は、「本多正信・政重父子と兼続」として、上杉家と江戸幕府との安定的関係の構築に重要な役割を担った本多正信・政重父子との関係を浮き彫りにしていくものとなっている。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、敗者となった上杉氏は、豊臣政権を掌握した家康との戦後処理の交渉を進めた。その時の家康側の中心となったのが、本多正信で、慶長9年(1604)、正信の次男、政重が兼続の養子となった。
第4章は、「兼続を支えた人々」を扱い、上杉氏家臣らとの関係に目を向ける。肥前名護屋の陣中で、家臣の色部長真が死を前にして兼続あての遺書には、長真の息子に兼続の次女を娶らせて欲しいなど、個人的な依頼などが書かれてあり興味深い内容となっている。
(2018年4月26日16:55配信)