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米沢市上杉博物館(島津眞一館長)は、9月19日(土)から11月23日(月・祝)まで、特別展「米沢城ー上杉氏の居城ー」を開催する。
(写真右=展示された大判の城下絵図)
大判の絵図や絵画など、米沢城に関連する約70点の資料をもとに、米沢の町割りを始め、藩主一族の住居、政治機関、軍事拠点としての城の持つ機能や役割を紹介した。
展覧会を前に、9月18日、報道関係や内部職員向けに前期の展示説明会が開催され、佐藤正三郎学芸員が展示の解説を行った。
佐藤学芸員は、「城跡に建つ同館として米沢城をテーマに展示するのは今回が初めてで、米沢城の建物は残っていないが、国宝上杉文書などの豊富な資料からかつての姿をイメージでき、米沢を知ることができる」と開催の意義を述べた。
米沢城は長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏が居城としたが、今回の展示では上杉氏から明治初期の近代までの取り上げた。
(写真左=使者が藩主に会う時の手順を定めた絵)
展示では、直江兼続によって始まった米沢城下のまちづくりを数枚の大判の城下町絵図を通して紹介し、またお城の中にある藩主一族の生活空間や政治の中枢としての政庁の建物の見取り図など、現在の松が岬公園・上杉神社の配置と比較すると興味がつきない。
戊辰戦争を経て、明治6年に米沢城が廃城となり、その城の建物が売りに出され、例えば城内にあった上杉謙信御廟の建物は米沢市内にある長命寺の本堂になったことや、お城の奥女中だった女性が明治21年に描いた米沢城の絵は、女性ならではの独自の情報が満載されており、平面的な絵図にはない面白さを感じさせる。
(写真下=米沢城の奥女中が明治21年に描いた絵)
藩主に時候の挨拶を行う際の作法について、事細やかに記されている文書などもあり、当時の武士社会の風俗を知るものとなっている。
大正6年、同8年に米沢大火によって米沢市内が消失した写真や、昭和23年に米軍が撮影した米沢市の航空写真から、かつての城下の広がりを確認することができるなど、現在につながる視点も展示されてある。
米沢のまちなかには、西條天満公園を始め、土塁や堀、城下町の名残りが見られるが、今回の展示がそういった場所への市民の散策へのきっかけになるかもしれない。情報ライブラリーで制作した明和六年米沢城下絵図デジタルマップの活用を図るとしている。10月24日から後期は、2/3以上の展示替を行う予定。
入館料は一般620円、高大生420円、小中生270円。