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米沢市議会産業建設常任委員会協議会が7月28日開催され、米沢市より市立米沢図書館(ナセBA)の東通りを「チャールズ・ヘンリー・ダラス通り」(C.H.ダラス通り)の愛称で命名する計画が発表された。
(写真右:国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」より転載)
英国人チャールズ・ヘンリー・ダラスは、1842年英国サリー州ランベス(現在のロンドン市ランベス区)に生まれ、中国・上海にわたり貿易商の仕事に従事し、文久3年(1863)に来日、明治3年(1870)、大学南校(現在の東京大学)の英語教師を経て、明治4年(1871)10月16日に、興譲館洋学舎の英学教師として米沢に着任した。ダラスが着任した当時、興譲館洋学舎は現在のナセBA付近にあった。同8年(1875)3月までの3年半にわたり、米沢の地において青年たちに英学を教授し、そこから政治家などの有為な人材が誕生した。又任期を終えて横浜に帰るときに牛を引いていき、それが今日の米沢牛の名声につながるきっかけとなり、「米沢牛の恩人」と言われている。
令和3年(2021)は、ダラスの着任からちょうど150年となることから、米沢ダラス協会(尾﨑世一会長)は、ダラスの功績を市民や観光客に知ってもらい末永く讃えていきたいと、昨年11月、米沢市に対して、興譲館洋学舎とダラスの宿舎のあった地を横断する道路(市道文化会館東通り線)のナセBAから市民文化会館までの108メートル区間を「チャールズ・ヘンリー・ダラス通り」(C.H.ダラス通り)に命名して欲しい旨の要望を行った。
(写真上=ナセBAとチャールズ・ヘンリー・ダラス通りとなる道路(ナセBA東))
米沢市では、米沢ダラス協会の活動がさらに「米沢牛」のPRや、観光スポットにつながることを期待し、設置方法などの検討を行ってきた。
命名のプレートは、起点、終点、中間地点の3箇所に設置し、道路規制標柱への共架、又は独立基礎による設置とすることを検討している。又イメージは、ナセBA周辺の景観に配慮して、薄茶を基調とした色合いとする。通り名のプレートは、土木課で米沢ダラス協会の記念イベントに合わせて8月~10月上旬に設置する。又米沢市ホームページで命名に関する情報発信や、中部地区コミセンでは広報紙で紹介予定、又米沢ダラス協会は、9月にダラス展、10月に記念イベントを開催する。
米沢市において、通り名に愛称がついているのは、置賜総合支庁南側の「モーゼスレイク通り」があり、C.H.ダラス通りは2件目となる。