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米沢市六郷町にある(公財)農村文化研究所(遠藤宏三理事長)は、文化人類学者で、東京外国語大学名誉教授の川田順造氏が、令和3年11月3日、日本政府より文化勲章を受章したことを記念して、同月29日、置賜総合文化センターを会場に「人類文化のゆくえ〜『米沢ゆかりの川田順造先生文化勲章受章記念ゼミ』」を開催した。当日、ゼミには20人余りが参加した。
(写真左=皇居での文化勲章親授式を終えての川田順造氏、ご家族提供)
はじめに、(公財)農村文化研究所の遠藤宏三理事長が、「佐野賢治先生が米沢の地においでになったのは、修士か、博士課程在学中の昭和46年で、約50年前になる。行屋を国の文化財指定まで持って行った原動力となられ、頑張られた。佐野先生は都市と農村の交流が大事だと考え、東京から第一線の学者、知識人を米沢に招聘され、それが32回の農村文化ゼミナールにつながった。川田順造先生もその一人。10月27日、川田先生の文化勲章受章が発表された。米沢市からは、建築の伊東忠太、民法の我妻榮、絵画の福王寺法林の3氏が文化勲章を受章しているが、これは直江兼続が作った禅林文庫、上杉鷹山が再興した藩校興譲館など、米沢が学問を大事にして、息の長い教育と取り組みを行ってきたことによる。本日の佐野先生の講演は、息の長い、時代に役立つ話となると思う。」と挨拶した。
(写真右=遠藤宏三理事長)
続いて、農村文化研究所所長、前神奈川大学日本常民文化研究所所長の佐野賢治氏が「人類文化のゆくえ」と題して講演を行った。
佐野氏は、川田順造先生を「江戸っ子にして国際人」と紹介、東京大学で学び、パリ第五大学で民俗学博士を授与され、アフリカ・ブルキナファッソ(旧モシ王国)で9年間にわたって無文字社会や口頭伝承を研究、そこからヒトを自然史の中に位置づけて、「人間中心主義から脱却し、あらゆる生物が共存する『種間倫理』を探求された」と述べた。
さらに、川田氏の恩師であるフランスの社会人類学者・民族学者クロード・レビィ・ストロース氏(1908ー2009)が1955年に著した『悲しき熱帯』(川田順造訳)の中に、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という言葉があるが、川田氏は「人類の最大の不幸、戦争を抑止できないようなら、人類は滅びるのみ」と、ストロース氏の言葉に通じるものがあることを紹介した。
(写真上=ゼミに集まった市民ら、置賜総合文化センター)
佐野氏は、川田氏と米沢のこれまで関係も紹介し、毎年8月に開催する農村文化ゼミナールで第16回(2003年)、第21回(2008年)、第27回(2014年)の3回、基調講演を行ったほか、米沢市制120周年記念特別文化講演会(2010年2月)、農村文化研究所特別講演会(2017年2月11日)で講師を務め、特に2010年2月の講演では、『グローバル化の中で、地域おこしを考えるー米沢・置賜地域を中心にー』の中では、吉良上野介の視点から見た『忠臣蔵』の脚本化を構想、演劇のまちフランス・リヨン市との友好都市提携の提案をしたことを紹介した。
(写真右上=米沢市制120周年記念特別文化講演会(2010年2月)で講演する川田順造氏、米沢市すこやかセンター)
さらに、民俗学の立場から、今後は「郷土研究」から「世界常民学」という、「それぞれの地域にくらす住民同士がまず郷土を知り、国や民族を超え、生活レベルで互いに理解し、共感、連帯する意識を持つことを前提に、それぞれの地域、郷土の文化を担った実在の人々を対象にする」に移っていくと述べた。
(写真左=ゼミで講演する佐野賢治氏)
その理由は、富と権力の不平等、葛藤のない、「高次元の互酬性」社会を反映するために、今後、人類社会が国家・ネーション・資本制を乗り越える思想(柄谷行人『遊動論ー柳田国男と山人』2014、『世界史の実験』2019ほか)をあげ、そのための具体的行動・実践は、UNESCOの活動や、国連・SDGs(持続可能な開発目標)などであると述べた。郷土から世界へというアプローチとして、アルベール・カーン、イマヌエル・カント、新戸部稲造、柳田國男、澁澤敬三など、哲学者、思想家、民俗学者などの業績を紹介した。
佐野氏は、世界常民学の最終的目的は、「個人から世界全体の幸福」につなげていくことと、「戦争の抑止」にあるとし、「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因」で、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となったという、「ユネスコ憲章」の一文を紹介した。そして、仏教が平和を作り出すことに役立つとして、仏教思想の可能性に言及した。