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竹田 歴史講座

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米沢市上杉博物館、国宝「上杉家文書」の世界Ⅵ展


 

uesugi-1 米沢市上杉博物館は、開館20周年を記念して、令和4年2月11日(金)から3月13日(日)まで、同館所蔵である「国宝『上杉家文書』の世界Ⅵ 戦国の交渉」展を開催している。同館開館20周年記念を締めくくるもので、文書類を中心に44点が展示中。『上杉家文書』をテーマにしたのは、5〜6年ぶりとなるもので、2月10日、関係者向けの説明会が開催された。
 戦国時代、近隣大名と抗争を繰り広げた大名たちは、敵対したり友好的な関係を持つ大名たちといろいろな交渉を行い、自分の立場を守ろうとしたが、この交渉において大名同士が直接会って話し合うということは稀で、使者が派遣されて大名の意思を説明したり、大名や側近の文書が相手に渡されて交渉を進める手立てとなり、大名同士の意思疎通が図られた。
uesugi-2 国宝『上杉家文書』は、米沢藩上杉氏に伝来した鎌倉時代から明治時代に至る2000点余りからなる多岐にわたる文書群で、とりわけ戦国時代の上杉氏をめぐる関東情勢で、諸大名との間でどのような外交交渉がなされたかを示す書状が多く残されている。
 国宝指定の理由となった、やりとりされた料紙(手紙の形など)が当時のまま残されているのも「上杉家文書」の特徴で、説明パネルは写真とともに分かりやすい解説となっている。
 今回の展示では、上杉謙信と北条氏との同盟(越相同盟)、上杉景勝と武田勝頼との同盟(甲越同盟)などを通して、交渉の駆け引きや同盟の展開、交渉の職務遂行をめぐる環境、文書の形に見られる当事者間の関係性などを含め、上杉氏の外交交渉の特徴や戦国時代の大名同士の外交の実態を明らかにした。
 戦国時代の大名同士の外交文書は、全国的に縦折の横切紙の料紙が使用され、同展示でも武田勝頼から上杉景勝への手紙など実物が展示されている。ほかに東国(奥羽、越前、飛騨、遠江)より東は、竪切紙(たてきりかみ)といわれる竪紙を縦に切った縦長の形のものも使用された。相手、自分、日付、追伸を書く場所が決まっていて一定の様式があった。
uesugi-3 上杉謙信と北条氏康・氏政との同盟である越相同盟の交渉では、この同盟の交渉を担った人々やその交渉内容、上杉氏と北条氏の関係など、同盟成立前夜から交渉開始、同盟成立、共同作戦、同盟崩壊と終焉の推移が示された。
 この中で、元亀元年(1570)2月、北条三郎(後の上杉景虎)は謙信の養子になり、後の御館の乱の原因となる。同盟関係をやめるときは、「手切之一札(てぎれのいっさつ)」を交わし、関係を終了させることも紹介している。(写真右=武田勝頼より上杉景勝への書状)
 また手紙の中には、当時の交通の不便さを物語る「路次不自由」(交通が遮断されている)などの文言が書かれてあり、捕まれば殺されるような状況下の緊迫感も書かれてある。
 また、書状を持ってきた人は相手にどうやって物事を信用してもらうか、書状を受け取った人はそれをどう判断するかなど、難しい判断も必要だった。
 
 甲越同盟では、天正10年(1582)2月、織田方に攻められた武田勝頼が救援の手紙を上杉景勝に差し出したが、それは勝頼が天目山で自刃し武田家が滅びる1ヶ月前のもので、展示された勝頼自筆の手紙は、その後に起きる悲劇を感じさせるものがある。
 当時、同盟が成立するお互いに特産品を贈り合う習慣があった。武田氏からは、馬や小判が相手に贈られた。

uesugi-4 今回の展示では、大名同士の生き残りをかけた外交交渉の一翼に手紙というものが如何に大事な手段だったかを示している。道路事情がよくなかった当時、また敵が周りにいる中で、手紙を相手に無事に渡すことさえ容易ではなかった。そんな中で上杉家文書には、当時の大変な状況が伝わってくる。また徳川家康、直江兼続などの手紙を通して、彼らが生きた当時の時代を生で感じる展覧会となっている。

入館料 一般210円 高大生 110円 小中生 50円
問い合わせ 米沢市上杉博物館 TEL 0238-26-8001