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竹田 歴史講座

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上杉鷹山公大河ドラマ化に向けて総会と講演会(米沢市)
 


aita「上杉鷹山公NHK大河ドラマ化をすすめる会」(相田治孝会長)は、12月17日、米沢市の伝国の杜で、2022年度総会と講演会を開催した。講演会には40人余りが参加した。(写真右=挨拶する相田治孝会長)
 相田治孝会長は、これまでNHK山形放送局長、及び米沢市長と5回の懇談を実施したことや、米沢・朝倉交流会との共催で、10月22日、伝国の杜置賜文化ホールにおいて、「秋月三名君フォーラム」を開催したことを報告した。また宮崎県高鍋町長のご努力によって、来年1月31日に東京都渋谷区のNHK(放送センター)に、相田会長が大河ドラマ化に関する陳情に行くことが決まったと述べた。
kousaka 続いて講演会では、おしょうしなガイドの会会員の香坂文夫氏が「上杉鷹山公の一翼を担った黒井半四郎が残したもの」との演題で1時間の講演を行った。
 香坂氏は、黒井半四郎は18歳で和算の免許をもらうという算術の能力に長けて人物で、25歳で勘定頭登用、42歳で仲之間年寄(六老)に昇進したことを紹介、寛政3年(1791)に中老に復職して「寛三の改革」を推し進めていた莅戸善政に新渠掘削計画書を提出して、上杉鷹山の承認を得て着手した経緯を説明した。
monument 黒井堰は試掘堀、上堰、下堰の3本あり、総合延長は約40キロメートルとなっている。寛政7年(1795)から寛政9年(1797)まで、10万人の人夫を投入して完成した。
(写真右=高畠町福沢地内にある「黒井渠碑」)
 それにより45か村、770ヘクタールの田畑を潤し、香坂氏は2,200町歩分、最大22万俵の増収、11万人分の米が確保できたと述べた。感謝した北条郷農民が、現在の高畠町福沢に「黒井渠碑」を建立した。碑文は、藩校興譲館督学の神保蘭室による。
weir 香坂氏は、黒井堰完成と西村久左衛門による最上川開削により最上川舟運での米の流通が可能となり、これが米沢藩の財政事情の改善や人口増加に繋がり、上杉鷹山の改革を成功に導いた原動力となったとした。
 黒井堰完成と最上川開削後の米沢藩領内の人口増加のグラフを示しそれを証明した。(写真右=高畠町福沢地内を流れる黒井堰)