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竹田 歴史講座

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米沢市上杉博物館アートコレクション「女性像の世界」
 


1 米沢市上杉博物館は、2月11日(土)から3月21日(火)まで、同館の収蔵品から女性像をテーマにしたアートコレクション「女性像の世界」を展示する。展示会に先立ち、2月10日、関係者への内覧会が行われた。
 展示は5章に分かれ、全部で51作品が展示されている。第1章では美人画とは何かの視点から、伝統に沿って描かれた「美人画」を紹介する。その中では、米沢市生まれで大正13年に28歳という若さで亡くなった吉池青園の作品が大きなスケールで見ることができる。

2  吉池青園の作品は多くは残っていないが、女性を正面ではなく横から描き出し、頭の髪の毛や首筋、着物姿の日本女性の上品さや奥ゆかしさを表現している。東京での展覧会の準備をしている最中、関東大震災で作品が焼失したショックが元で亡くなったとされる。
(写真左=吉池青園の美人画)

3 第2章では、米沢市生まれの椿貞雄の家族を描いた女性像が展示した。妻や娘、孫をモデルにしたもので、椿の家族への愛情や、モデルたちが自然体で描かれていて、心が思わずほっこりとなる。昭和30年頃に描かれた「彩子像(赤い帽子)」は、同館での初公開となる。
(写真右=初公開の「彩子像(赤い帽子)」)


 第3章は、米沢市生まれの画家、浜田浜雄の作品。「苦悩の女性像」というテーマで構成、浜田浜雄の心情を色濃く投影した内容。作品は昭和26年に一連として描かれているが、全体的に暗くシベリア抑留を経て帰国した浜田浜雄が受けた精神的なダメージを想起させる。

4 第4章は、異国の風に吹かれてと題するもので、作家たちに大きな影響を与え、豊かな広がりを与えた異国の風俗や文化を女性像を通して表現されている。遠藤桑珠の「メヒコの女」は、昭和52年に描かれたもの。
(写真左=「メヒコの女」)
 昭和49年にメキシコに渡った子息を訪ねて初めてメキシコに渡った時、その独特な文化と風土に強烈なインパクトを受け、以降、メキシコを10度訪ねた。民族衣装を身につけたメキシコの女性を描いた作品は、風景画家として名を馳せた同氏にとっては数少ない人物画である。白と赤の衣装とエキゾチックな風貌の女性が作品いっぱいに描かれている。メヒコとはメキシコのこと。
 第5章は、「象徴としての女性像」として、社会を反映した女性像を紹介する。米沢市出身の彫刻家桜井祐一の「若い女」など、女性の曲線や若々しさをストレートに表現した。
5 桜井祐一の「腰かけた女」、「横たわる女」は、テラコッタ(素焼粘土)で作られた彫刻で、女性のポーズがかなりユニークである。
(写真右=桜井祐一のテラコッタ(素焼粘土)で作られた彫刻を説明する遠藤友紀学芸員)



 同時開催として、近年、同館が収蔵した作品がキュレーターズ(博物館や美術館などで展覧会の企画、構成、運営などを行う専門職、学芸員)・チョイスとして展示されている。
6 その一つが米沢市役所が所蔵し、新米沢市役所開庁に合わせて、上杉博物館に移管された「池田成章」の油絵。実に立派な肖像画である。石橋和訓の作で、伯爵上杉憲章とイギリスに渡った画家だという。
 池田成章は、米沢藩藩主上杉茂憲の小姓となり仕えた。明治に入って、両羽銀行(現在の山形銀行の創立に関わり、明治29年に初代頭取に就任している。
(写真左=気品が漂う「池田成章」の肖像画)

 江戸時代は、浮世絵を中心にした「女性像」が人気を博し、明治以降は「美人画」としてジャンルが切り開かれていった。その背景には、美人画を描く女流画家の登場がある。米沢出身の吉池青園の美人画には、大正時代に生きる女性たちの姿が生き生きと描かれていて、大正デモクラシーを表現しているようだ。
 今回の展示会では女性像が伝統的な「型」に沿うものから、身近な存在を活写するものまで多彩な作品が展示されている。同館の遠藤友紀学芸員は、「その時代の女性像を映し出す人間感情や、託された意味、社会意識などが鑑賞の見どころ」と述べている。
 2月18日(土)9:15〜、10:00の2回、同館学芸員によるギャラリートークが行われる。(要入館料)3月10日(金)19:00〜20:30には、ナイトツアー「アートコレクションを楽しむ」が開催される。(参加費500円)

問い合わせ TEL 0238-26-8001