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竹田 歴史講座

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鯉の日(5/1)、上杉神社境内で鯉供養祭
 

1 藩政時代の第9代米沢藩主上杉鷹山は、海から遠い米沢で貴重なタンパク源を得るために、藩士に自宅の庭に鯉を飼わせ、鯉を食べることを奨励したことから、米沢市民の間では今でも鯉の食文化が根付いている。
 鯉の消費拡大を記念して制定された5月1日の「鯉の日」に、米沢鯉商組合(宮坂宏組合長)は上杉神社境内にある鯉供養之碑前で、昭和35年から「米沢鯉供養祭」を開催している。
 新型コロナの期間は、2年間開催を中止、または昨年は人数を制限したが、令和5年は従来の内容で来賓を招き鯉供養祭を実施した。
2 鯉供養祭は、鯉を殺生していることから鯉を供養することや商売繁盛を願って開催してきた。上杉神社の大乗寺信二宮司の司式により神事が行われ、祝詞奏上に続き、参列者は玉串を奉奠した。そのあと生後3年、約2キロの5匹の丸々と太った鯉が境内の池に放生(ほうじょう)された。初めて鯉を放流する人は鯉が滑ってつかみにくい様子だった。
 鯉供養之碑は昭和35年に建立されたもので、そこには文化7年(1810)に、米沢藩支藩の米沢新田藩家臣、島津温忠を江戸本所にある会津藩に派遣して金田左門に指導を受けさせ、鯉の飼育方法を学ばせたことや、その後、上杉鷹山が隠居後に住んだ餐霞館の庭内に苗鯉池を設け、鯉を薬用魚として販売していくことを考え、相馬から稚魚を取り寄せたことなどが書かれてある。米沢では藩士の家には鯉を飼育する池が設けられ飼育が盛んになった。今では「米沢味のABC」のC「Carp:鯉」として、代表的な米沢料理の一つとなっている。
 宮坂宏組合長によれば、米沢市内では現在、鯉料理を提供しているお店(会社)は3社あり、例年、米沢鯉として調理、出荷される総量は3社で250トン。甘露煮、鯉の洗い、鯉こく(味噌煮)として加工され、県外向けに通販などで販売している。現在は骨まで食べられる加工食品が人気だという。
 平成22年頃までは、冠婚葬祭や温泉旅館などのメイン料理として使われてきたが、新型コロナにより、法事や仕出し向けの需要が激減した。今後は、子供からお年寄りまで安心して食べられる商品の開発を行い、鯉を食べる文化を広げていきたいと話している。同組合では、子供の日の前後に、小学校、中学校の学校給食にも米沢鯉を提供している。