![]() |
米沢出身の書聖宮島詠士(1867〜1943)の命日にあたる7月9日、米沢市城西1丁目にある信光寺(佐々木正乗住職)で墓前祭が行われた。主催したのは、米沢市で宮島詠士の顕彰活動を行っている「詠士会」(菊池峰月会長)で、当日は米沢市、川西町に住む詠士会会員6人が信光寺の佐々木正乗住職の読経供養の中、焼香を行った。
宮島詠士は、米沢藩士宮島誠一郎の子として、慶応3年に米沢で生まれ、明治4年、5歳で上京し、明治10年に勝海舟の門下となり、明治14年、父宮島誠一郎が設立した興亜学校に入学、それが外国語学校と合併したことから、ここに移り明治17年に同校を卒業した。明治20年に選ばれて中国に留学、李鴻章(りこうしょう、清国の政治家。日清戦争後の下関条約での清国側全権大使)とともに、中国の当代随一と言われた張廉卿(ちょうれんけい、1823〜1894)の門に入り、以後8年間にわたり、教義・文章・書法を学んだ。明治27年に日清戦争が勃発して帰国、日華親善に尽くすため、東京で「詠帰社」(後の善隣書院)を設立し、門弟は3千人を超えた。明治期における日中文化交流の先駆けとして活躍した。昭和18年7月9日、77歳で逝去。信光寺にある宮島詠士墓は分骨されたもの。勲六等の叙勲を受けた。張廉卿の元で習得した独特の書法は、宮島詠士の人格が染み出した、他を寄せつけない格調さがあり、「書聖」と仰がれた。
詠士会は平成29年10月、米沢市との共催で「宮島詠士生誕150周年記念」として、市民ギャラリー「ナセBA」で宮島詠士遺墨展と書の頒布会を開催した。また令和4年7月には、宮島詠士に私淑した尾崎周道展を開催して、市内各所から尾崎周道の作品を借用展示し、尾崎周道主宰の塾で学んだ弟子たちによる座談会は好評を博した。
墓前祭の後の会合では、宮島詠士没後80周年を記念する遺墨展の開催を決定し、会期は令和5年10月17日(火)〜10月22日(日)に市民ギャラリー「ナセBA」を会場に行われ、記念講演も予定している。