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第45回米沢アンデパンダン展が、令和5年7月25日(火)〜7月30日(日)の会期で、よねざわ市民ギャラリーで開催されている。
アンデパンダン(indépendants)とは、フランス語で自主・独立を意味し、1874年、モネ、ドガ、セザンヌ、ピサロ、シスレーらがパリで反サロン的な展覧会であるサロン落選会(第1回印象派展)を開催し、その後、1884年、反アカデミズムの画家やサロン落選画家たちが、一人ひとりの独自性を大切にした無審査、無賞、自由出品制の展覧会として、「第1回アンデパンダン展」を開催したのが始まりとなっている。
日本では1946年に日本美術会が設立され、1947年以降、毎年「日本アンデパンダン展」が開催されている。
(写真左=愛の武将隊が着用する甲冑、左から直江兼続、上杉景勝、前田慶次)
米沢アンデパンダン展は、1977年に地方の新しい美術展として始められ、今日まで連綿とバトンが手渡され続いてきた。第45回米沢アンデパンダン展から実行委員長が若手の伊藤博昭さんが就任した。
今回の展示では、写真、工芸・立体造形、書、絵手紙・水墨画・切り絵、押し花、ボタニカル、日本画、パステル画、水彩・鉛筆等、油彩・アクリル、その他などの11ジャンルから計169点が展示されている。昨年より点数として2割ほど減らしたが、初出品者が100名中で15名となり、初めて見る作品も多かった。また10メートルを超える大作、80〜100号の絵、小品ながら輝く絵など、見ごたえが十分にあるものが寄せられた。広々とした会場には、自由で華やいだ雰囲気が溢れ、各作品からは作家の個性やメッセージ、精力的なエネルギーが伝わってくる。
(写真右=髙塩和弘氏のスプレーアート「地球と月」(左)、「雲上の地球」(右))
伊藤博昭実行委員長は、「昨今、アンデパンダン展でなくても、気軽に自由に作品を展示できる展覧会が増えてきている。米沢アンデパンダン展も原点復帰して、持続可能な展覧会としていきたい」と述べ、出品者の主体的な参加や申込みを待つことや、実行委員会の負担軽減に向けた種々の工夫を行い運営することで、新たな展覧会のあり方を探っている。
展示では、今年2回目となる山形愛の武将隊の鎧兜が展示された。またスプレーアートと呼ばれる表現方法で描いた宇宙は、全くの新しい世界を醸し出す。
(写真右=伊藤博昭氏の「Chimera(キメラ)」)
伊藤実行委員長の作品「Chimera(キメラ)」は、元々、頭がライオン、尻尾が蛇というギリシャ神話の登場する動物を描いたもので、4つの作品をバラバラにして再構築し重ね合わせたことで連作のような力強さと面白さを表現していた。
細谷信義氏の作品「飢餓」は、1975年、24歳の時に山形県美展に出品したものの落選。それを、当時絵を描く仲間とともに開催していたグループでの「白亜展」に出品したもの。細谷氏は、第1回米沢アンデパンダン展結成の10人の1人でもある。飢餓による子どもたちの栄養失調の問題を女の子の目が訴えている。
(写真左=細谷信義氏「飢餓」)
伊藤義孝氏の切り絵は、上杉謙信を支えた無敵軍団24武将を描いたもので、武将たちの姿がリアルに表現していて素晴らしい。
髙橋直人氏の書は、その文面が大変に面白い。「死んだらどうなるの」を読んで思わず吹き出した。子供が母親に、「人は死んだらどうなるの?」と質問する。母親は子供に「そんなことを考えずに、勉強して、いい高校に進学して、いい会社に入って、いい人と結婚すること」と話をする。それに対する子供の反応が傑作である。人は何のために生まれ、生きているのか、人としての原点を問いかける内容である。髙橋氏の作品は2点展示しているが、もっと同氏の作品を見てみたいと思う。子供の反応は、読者のみなさんが作品をご覧になってお楽しみいただきたい。(写真右=髙橋直人氏の書「死んだらどうなるの」)
遠藤きよ子氏の「刺し子入・着物」はセンスがとても良く、女性なら袖を通して着てみたくなる一点だろう。