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令和5年は、米沢市出身で、民法学者、文化勲章受章者として知られる我妻榮(1897ー1973)の没後50年にあたることから、米沢市・公益社団法人米沢有為会(主管 米沢市名誉市民我妻榮没後50年・我妻榮記念館開館30周年記念事業実行委員会【伊藤和夫実行委員長】)は、「我妻榮先生に学ぶ〜民法学の父・戦後復興の恩人〜」をテーマに、10月21日(土)午前10時30分から「我妻榮先生銅像除幕式」を我妻榮記念館で、同日午前10時から12時まで、記念法律相談会(無料、一人30分以内)を伝国の杜会議室で、同日午後2時30分から伝国の杜置賜文化ホールで、記念講演と記念パネルディスカッションを開催する。
他に、「我妻榮特別展」を9月29日(金)〜10月25日(水)【前期】、10月27日(金)〜11月22日(水)【後期】に分けて、市立米沢図書館先人顕彰コーナー(第1会場)と我妻榮記念館(第2会場)でそれぞれ開催する。
我妻榮記念館は、米沢市中央三丁目にあり、元は我妻榮の生家で、17歳まで住んでいた場所。現在は、公益社団法人米沢有為会が取得、管理している。我妻榮記念館は「我妻榮特別展」の開催にあたり、「本田吉馬宛我妻榮書簡」1通のレプリカを額装し、同館壁面に初公開する。
この書簡は、大正4年(1915)8月31日付のもので、東京の第一高等学校1年生に在学中の我妻榮から山形県立米沢中学校(現県立米沢興譲館高校)で5年間過ごした時の同級生で、生涯の親友となった本田吉馬氏(後の第38代、39代米沢市議会議長、米沢市功績者)宛に送付された巻紙(縦18㎝ × 横235㎝)に毛筆で書かれた手紙である。
9月28日、我妻榮記念館で我妻榮特別展を翌日に控えて内覧会が行われ、伊藤和夫実行委員長と角屋由美子上杉神社稽照殿学芸員が記念事業や書簡についての説明を行った。
書簡は、同記念館が令和5年3月に本田吉馬氏の子息本田貞夫氏(神奈川県相模原市在住)から寄贈を受けたもので、同館展示用にレプリカ1式を額装したほか、本田貞夫氏に寄贈する巻紙の形態で複製した一式を作成した。
(写真右=記念館の壁面に掲示されたレプリカ)
手紙には、ご無沙汰していることの詫びや、人との出会いと別れはどうすることもできないこと、人世の幸福は理想に向かって一歩ずつ近く努力の営みであること、郷里や母校のために奮闘努力をしてそれぞれの未来の成功を期そうなどと書かれてある。そして、吉馬氏のことを「心友」と呼ぶなど、青年期の我妻榮の考え方を知ることが出来る貴重なものとなっている。
伊藤氏は、この書簡の中で「心友」と呼んでいることに関連して、中学5年生の時に、我妻榮と吉馬氏が夏休みに二人で6日間の徒歩旅行をして、米沢から山形、笹谷峠を越えて大河原町、松川浦を経て、米沢に戻った時のエピソードを紹介した。
(写真左=直筆の中で記されている「心友」)
また書簡の中で述べられている「郷里や母校のために」という考え方は、晩年に米沢市立興譲小学校に「まがき文庫」を寄贈したり、米沢興譲館高校では8回の公演を行い、「自頼奨学財団」を作り、現在も奨学金の支給を行っていることにもつながっていると述べた。さらに「書簡は我妻榮がさすがに優秀で、哲学的な書き回しになっている。」と、18歳が書いたとは思えないような内容に驚きを隠さなかった。
角屋氏は、書簡の原本が傷んでいたため文化財同様の扱いで裏打ちを行ったことや、桐箱に入れて保存していくと述べた。
(写真右=記念館の展示室)
我妻榮記念館は、特別展の会期中は毎日13時から16時まで開館し、入場無料。本田吉馬宛我妻榮書簡の翻刻と現代語訳の資料がもらえる。問い合わせ 電話0238−24−2211まで。(場所:米沢市中央三丁目4番38号)