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竹田 歴史講座
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米沢〜福島間萬世大路を完成させた高木秀明の子孫が講演へ

1 明治初期に、山形、福島、栃木の3県令を歴任し、最後は警視総監を務めた鹿児島出身の三島通庸(みしまみちつね、1835〜1888)は、「土木県令」と称されるように、山形県令としての在任期間に数多くの道路事業を手がけ、今日の山形県が発展する礎を築いた人物として知られる。三島県令の元で土木課長として働いたのが、同じく鹿児島出身の高木秀明(たかぎひであきら、1831〜1903)である。
(写真右=山形県土木課長時代の高木秀明、写真提供:高木かおる氏)
 高木秀明は、11代薩摩藩主の島津斉彬の江戸参勤にお供し、江戸で洋学を学んだ。西郷隆盛(1828〜1877)、大久保利通(1830〜1878)と同じ鹿児島城下の鍛治屋町で生まれ育った。

 江戸時代、参勤交代などで使用された米沢〜福島間の板谷峠を超える板谷街道は、険しい山岳地帯を通る道で、冬季間は雪のために通行が困難だった。そのため三島県令は板谷街道に代わるものとして、明治9年(1876)12月、米沢の刈安村を通り、栗子山に隧道を掘削し、福島の中野村に至る新路線として、内務卿(当時の首相)である大久保利通に許可伺いを出した。
 明治10年におこった西南戦争により、政府からの許可は遅れたが、新道の開削工事は直ちに着手し、アメリカ製の蒸気力による穿孔機を導入したことで掘削に威力を発揮した。この機械は、アメリカに3台しかないもので、イギリス、アメリカに次いで、日本が3台目を購入した。
2 栗子隧道は、全長が864メートルで馬車がすれ違える幅で掘削された。米沢から福島までのすべての道路が完成し、明治14年(1881)10月3日、明治天皇一行が完成した新道と栗子隧道を通り、開通式が行われ、明治天皇のちにこの新道に「萬世大路」と名付けた。
(写真上=右が明治14年に開通した初代栗子隧道、左は第2代栗子隧道、写真提供 米沢市万世コミュニティセンター)
 高木秀明は、明治天皇から褒美を与えられた。萬世大路を含む山形県内の新道は、高木秀明の現地調査によって最終的に決定した。

3 令和5年(2023)10月14日、高木秀明の玄孫に当たる高木かおるさん(合同会社AMA専務、熊本県天草市在住)が、山形交通が主催するツアー「明治の産業遺産栗子隧道トレッキング」に参加し、萬世大路の開通式から142年を経て、高木秀明の親族が栗子隧道を訪れた。
(写真右=高木秀明の親族として訪れた高木かおるさん:前列左)
5 高木かおるさんは、一般社団法人TMC(仙台市)が主催(山形県、米沢市、米沢市教育委員会、米沢日報デジタルなどが後援)する「時間の法則に出会えた奇跡」と題する講演会で、高木家のファミリーヒストリーについて東北では初めての講演を宮城、福島、山形の3県で行う。
 高祖父の高木秀明、そして東京美術学校で若き日の日本洋画家の巨匠青木繁と出会い、生涯にわたって交友を行った曽祖父の高木巌(1879〜1954)、さらには高木秀明の妻・加代の弟で、第5代海軍大臣、第16代・第22代内閣総理大臣を務めた山本権兵衛(1852〜1933)などが講演の中で説明され、当日はこれまで高木家秘蔵の史料なども紹介される予定である。
 講演会は、2月10日(土)13〜15時が宮城県泉総合運動場会議室、2月11日(日)10〜12時が福島県桑折町文化記念館(旧伊達郡役所)、2月12日(月/祝)14:00〜16時が山形県米沢市 伝国の杜・大会議室で開催される。入場料は2,000円。申込は下記のQRコードにて、又は次のメールで送付する。rumi1381570@gmail.com 又は携帯 090-1483-1338まで。定員に達した段階で、申込受付は終了となる。
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