第60回記念米沢総合書道展(我彦芳柳実行委員長)が10月29日(火)から11月3日(日)まで、よねざわ市民ギャラリー(ナセBA)で開催された。顧問の出品数が5点、他出品者77点の82点で、会場1階を全て借切りで清々しく力強い作品が展示された。
また11月2日(土)午後2時から、米沢市総合書道会顧問の菊池峰月氏が同会場で、「書道あれこれ」と題して講演を行った。(写真下=講演する菊池峰月氏)
菊池氏は、はじめに米沢市城南にある常安寺境内に建立されている「馬陵斎藤先生碑」について解説した。本名は斎藤篤信(1825〜1891)で、戊辰の役で活躍し、のちに興譲館総掛、山形県師範学校初代校長、学習院教授となった人物、米沢市松が岬公園内に建つ招魂碑の筆者としても有名。碑文は、興譲館督学を務めた片山一貫によるもので、字は斎藤篤信が書いたものを集めた(採字)。
さらに、上杉神社境内に建つ宮島詠士生誕100年を記念する石碑を説明し、宮島の弟子で満州(現在の中国東北部)の礼景嘉による七言絶句の詩が3編が刻まれている。米沢市の詠士会(菊池峰月会長)がその原文を所蔵している。会場に、原文と石碑の拓本が展示された。
菊池氏は、書写と書道のねらいについて、書写は「正しく整えて書くことで、正整の美」であるとし、書道は「美しく書き、種々の美」を追求するものと述べた。象形文字の書かれた3000年前から人は美しく書こうということがなされていたとした。文字は右手で書くという規範が形成されてきたが、なぜかといえば、人間の右脳が発達したことで、右手で書くことが多くなったもので、人間は90%以上が右ききである現実がある。
漢字を発明した中国でも最近、書法について書く人がいなくなった中で、平成27年に中国南京生まれの孫暁雲(女性)が書いた「書に法あり」という本を読んで衝撃を受けたという。右手で筆を持ち書くと、ほとんどは右上がりになり勢いが感じられる。
1970年代、菊池氏はテレビで「2030年まで漢字は消滅する」という番組を見たと話した。テレビが出現した時は、日本人は総白痴化すると言われたが、人間はそれを乗り越えてきた。最近は、自分でSNSで発信する書家が増えているが、菊池氏は「これが正しいのかは分からない」とした。
書の継続のためには、「書に情熱を持ち、書の談義を多くすること」や「自分の書を楽しく展開する」といったことがコツであるとアドバイスを行った。また個性ある自分の書を展開するには、「他と違うこと」(必要条件)、「一貫性があること」(十分条件)の2つのことと、自由にたくさん書く事の大切さを訴えた。
孫暁雲の「書に法あり」のあとがきの中で、「書の海」という事を述べているが、それは「気づかずうちに、頭まで濡れてしまったのである」と書いていることを紹介し、「書は自然体で生涯を続けていくもので、楽しく自得するもの」と結論づけた。
(写真右=菊池峰月氏の出品作)