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米沢市上杉博物館(曽根伸之館長)は、2月8日(土)から3月23日(日)まで、「コレクション展 新収蔵品展 米沢・上杉の歴史と文化」を開催している。開催に先立って、2月7日に内覧会が開催され、同館学芸員の池野理氏が展示品の解説を行った。
(写真右=上杉謙信、景勝、定勝の書状「塚田家文書」を解説する池野理学芸員)
同館は、米沢・上杉家にゆかりある資料や、置賜地域の郷土作家の美術作品などの収集に努めており、過去10年間で収集した資料数は11,000点以上に及ぶ。今回の展覧会では、平成30年(2018)以降に寄贈や寄託された歴史資料を中心に、米沢・上杉の歴史と文化に関わるもの61点を展示したが、全て初公開となるものばかり。
展示の構成は、
1 上杉家ゆかりの文化財
2 米沢藩ゆかりの刀剣とその管理
3 幕末の志士 雲井龍雄 〜家族への手紙〜
4 災害と米沢
5 米沢の地誌と景観
となっている。
また、博物館の役割(収集・保存・調査)について、普段行っている業務内容をパネルで紹介した。
上杉謙信、景勝、定勝の書状(塚田家文書)には、「写し」とあり、相手に送付した手紙の控えとして保管されてきたものと思われ、特に景勝朱印状は原本資料であることが判明した。上杉鷹山が師細井平洲の漢詩文の遺稿集を藩校興譲館の督学(校長)の神保蘭室らに命じて編纂させた「嚶鳴館遺稿」の版木が展示されている。これは米沢市指定文化財になっている貴重なもの。
刀剣では、米沢藩の刀鍛冶を紹介し、刀銘が「羽州米澤住片倉正晴作」には黒漆拵(くろうるしこしらえ)が付属している。2018年に同館が寄贈を受けたもの。
(写真左=片倉正晴作の刀剣(右側))
刀工の片倉正晴は、元治元年頃(1864)に米沢で活動した刀工だが詳細は不明である。
米沢藩お抱えの刀工の加藤長運斎の作風に似ていることから、弟子入りしたものか。
米沢藩で刀の管理をしていた家々のリストやその俸禄などが説明された。刀剣手入用具は、栗林政克が所用していたもので、安政4年(1857)8月の記録がある。
(写真右=栗林政克所用の刀剣手入用具)
また徳川家康が上杉謙信に年始の贈答として送った刀剣「太刀 銘 守家」は、鎌倉時代のもので、国宝「上杉家文書」には、「刀一腰守家」を送った記載が残されている。この刀は、その後、明治14年(1881)の明治天皇の米沢行幸の際、上杉斉憲が明治天皇に献上し、現在は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵している。
米沢藩幕末の志士雲井龍雄の肖像写真や、雲井龍雄が父や兄に宛てた手紙では、江戸での諸藩の志士との交際のためにお金を無心している内容だったり、母への手紙もあり、家族への気遣いと近況を述べている。これらは雲井龍雄の血縁にあたる新野家資料で、2023年に寄贈を受けた。
(写真左=新野家資料中の雲井龍雄写真)
災害と米沢のコーナーでは、大正6年(1917)5月22日に発生した米沢大火を取り上げ、米沢新聞の記事や復旧に際して市内の主要道路の拡幅や新設が行われた図面などが展示された。また昭和11年1月の記録的大雪を米沢新聞や絵葉書で当時を紹介した。
(写真右=大正6年の米沢大火の模様)
米沢の地誌と景観では、「郷社愛宕神社絵葉書」や「羽前国小野川温泉全図」が示され、現在との景観の比較が面白い内容となっている。
上杉博物館活動の紹介では、毎年の活動成果を『年報』として公開し、博物館の役割である収集、保管、調査、展示、教育普及の実績を記録している。
(写真左=博物館の仕事を紹介するパネル)
また新たに収集した資料は、1点ずつリスト化、データベース化して公開している。現在、1万3,000件の資料を公開中。米沢・上杉に関連する歴史資料は、博物館や図書館のほか、寺社や個人宅などでも多く保管されており、関連資料の所在確認と概要の把握に努めている。池野理氏は、建物の取り壊しなどで学芸員が訪問した際には、「その資料がどの程度重要なものかを短時間で見極める力が求められる」と話していた。博物館の仕事を知ることもできるコーナーもあり、今回も見どころ満載の展覧会である。