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米沢市上郷生まれの日展画家、故遠藤桑珠画伯(1917〜2011)の遺作・スケッチ展が、4月18日(金)から27日(日)まで、米沢市桜木町2丁目にあるギャラリーパセオで開催されている。
4月19日、遠藤画伯の長男で、現在、メキシコに54年在住する遠藤滋哉氏が1時間余りにわたりギャラリートークを行い、会場では立ち見が出るほどの約70人の聴衆が参加した。(写真右=ギャラリートークを行う遠藤滋哉氏)
滋哉氏は遠藤画伯の遺影を前に、遠藤画伯の生い立ち、家族とのエピソード、滋哉氏がメキシコにわたったきっかけや現地での生活、メキシコの歴史とその周辺国との関係などを、地球儀で場所を示しながら、ユーモアを交えて語った。
(写真左=1階部分の聴衆)
遠藤画伯は、大正6年、現在の米沢市上郷の農家の長男として生まれ、昭和12年、20歳の時に同郷の先輩画家、我妻碧宇(当時、名古屋在住)の紹介で、中村岳陵門下生となった。戦前は旧満州国に補充兵として出征、戦後、同21年9月の再興第31回日本美術院展覧会(院展)で、初入選して頭角を現し、その後は日展審査委員、日展参与となり、平成17年、米沢市功績者として顕彰された。平成23年、94歳で逝去した。
家族とのエピソードとして、到着したばかりのテレビのチャンネルを争って喧嘩していた滋哉氏と姉に、「こんなものがあるから悪いんだ」と放り投げた話や19歳になった滋哉氏に、「大学に行く代わりに自由に好きなところに行け」と100万円をくれ、そのお金で滋哉氏はメキシコに渡った話などを紹介した。また昭和46年、滋哉氏が住み始めたメキシコを訪ねて、取材しマヤなどの古代文明にも触れ、メキシコに来てからの作品は非常に色彩が明るくなったと述べ、10回にわたるメキシコ訪問でその後の画風が大きく変わったという。
今回の遺作・スケッチ展は、遠藤画伯亡き後、自宅に残された作品製作のための膨大なスケッチなどを紹介し、会場で展示・販売が同時に行われた。遠藤画伯の大地への感謝や畏敬、そして作家としての地道な研鑽と精進、またメキシコの太陽から得たエネルギーや情熱を感じさせるもので、ギャラリートーク後、遠藤画伯の作品を参加者はじっくりと見入っていた。
また遠藤画伯が世界で収集した民芸品、自身の短歌をまとめた本(角川書店)、平成30年に「ナセBA」で行われた遺作展の図録が展示されるなど、多様で国際色豊かな展覧会だった。