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上杉家執政として米沢藩初代藩主上杉景勝を補佐した直江兼続の402回忌供養法要が12月19日、米沢市中央5丁目にある東源寺(楠裕行住職)で開催され、10人余りが出席しました。主催したのは米沢市で直江兼続の顕彰活動を行っている米澤直江會(伊藤義昭会長)です。今年は新型コロナウイルス感染症の流行のため、規模を縮小して開催しました。
はじめに楠裕行住職による読経供養が行われ、参列者が次々と焼香を行いました。
直江兼続は元和5年(1619)12月19日、江戸桜田にある鱗屋敷で享年60歳で亡くなり、菩提寺だった米沢の徳昌寺に葬られました。寛永14年(1634)にお船の方が逝去すると直江家は断絶し、その後、徳昌寺は破却され、直江兼続夫妻の墓は米沢の林泉寺に移されました。
林泉寺の位牌には「達山全智居士」と刻まれており当初よりの位牌と考えられ、東源寺のものは「英貔(えいひ)院殿」という院殿号が冠せられていることから、兼続100回忌法要の際に追贈されたものです。
兼続の直属家臣団である与板衆は、この東源寺で兼続の法要を行ってきました。東源寺には他に、お船の方、兼続の息子である平八景明の位牌が置かれています。
東源寺の現在地は徳昌寺が破却された後に、兼続の家臣平林家が下屋敷だった土地を寄進して建立されたもので、東源寺は元々、現在の長野県飯山市にあり、開基は兼続の母の実家尾崎家でした。