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竹田 歴史講座

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小林幸子さん、美女木の松を題材に紙芝居制作・町に寄贈




 川西町上小松在住の小林幸子さん(86歳)は、4月13日、川西町役場において、自身が制作した紙芝居『美女木伝説』を原田俊二町長に贈呈しました。小林さんが紙芝居を制作するのは、平成30年2月に同町玉庭出身の力士小汐山をテーマにした紙芝居『日本一の力持ち」の作品以来2作目となります。小林さんが紙芝居の文と制作、米沢市で絵画教室を主宰する鈴木理香さんが絵を担当しました。1作目と同じコンビです。
 小林さんは幼少より中学生頃まで、明治元年生まれの曽祖母およしさんに日常的に民話を聞いて育ち、自身も民話の本を出版するなど、地域の大切な歴史や伝承を後世に伝えていくことに関心を持ち続けてきました。
 紙芝居の題材は、小林さんの住む川西町上小松にある『美女木伝説』で、美女木という地名は、川西町フレンドリープラザの一帯を指して言いますが、昔、この地を流れる荻野川の右岸に「美女松」と呼ばれる枝振りの美しい赤松の大木が立っていました。文化元年(1804)に書かれた「米沢地名選」には、鎌倉時代の武将である熊谷次郎直実が、源平の戦いである、一の谷の合戦で平家の若武者平敦盛を討ち取ったものの、自分の子と同じ年の若者を討ち取ったことに人生の無常を悟って出家し、法然の弟子となって蓮生と称したとされます。直実の娘である鶴千代は父の冥福のために、信州善光寺にお礼参りをする際に、置賜を通り小松村のこの場所で神仏に供えるために松を植えたとされる伝説があります。
 川西町、小松地区交流センター「まんまる」、川西町文化財保護協会では、小林さんの紙芝居の完成と軌を一にして、町内外の人たちに『美女木伝説』を知ってもらおうと「美女松」が立っていた付近にこのほど看板を建立しました。看板の松は、大正11年に撮影された「美女木」の風景を再現したものです。場所はスーパーヤマザワ川西店駐車場の南側入口付近となっています。今後、記念碑の建立も計画されています。
 紙芝居では美女木の歴史を伝える300年の年輪を持つ切り株は、幹周りが2メートル70センチ、直径88センチの立派なテーブルになって、「川西町交流館あいぱる」に保管されていることも触れられています。
 『美女木伝説』の紙芝居は町内の小・中学校や保育施設など、町を通して35箇所に配布されます。