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慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、会津藩主の命を受けて、堀粂之助と吉村寅之進の2人の藩士が、9月3日、奥羽越列藩同盟の一員であった米沢藩に援軍を求めるために到着しました。しかし、この時すでに米沢藩は新政府軍に対して降伏恭順を決定しており、この求めに応えることはできませんでした。
9月5日、堀粂之助は君命を果たし得なかったとして、宿に戻って自刃しました。一方、吉村寅之進は、仙台藩に援軍を求めに行ったとされていましたが、その後の消息は不明となっていました。
令和2年3月、堀粂之助墓前祭の模様を配信した米沢日報デジタルを見た札幌市在住の荻昌弘さんから、「自分は吉村寅之進の孫の孫に当たる。堀粂之助の子孫と連絡がとりたい」との依頼があり、2人の会津藩士末裔の顔合わせが待ち望まれていましたが、新型コロナウイルス感染症のため、2年半余り延期となっていました。それは堀粂之助没後154年となる今年11月26日、米沢市大町の龍泉寺において漸く実現しました。
これまで堀粂之助墓前祭は有志で行われてきましたが、今回からNPO法人雲井龍雄顕彰会(屋代久理事長)が主催して開催する運びとなり、この日は堀粂之助の子孫である鎌倉市在住の堀英彦さん、吉村寅之進の子孫の荻昌弘さんや、同顕彰会会員、市民ら20名余りが参加しました。
墓前祭では、龍泉寺住職による読経、宍戸岳荘さんが墓前で詩吟を吟じました。参加者は堀粂之助の遺徳を偲びながら次々と焼香しました。
墓前祭に続き、置賜総合文化センターを会場に、戊辰戦争とはなんだったのか、吉村寅之進のその後の人生など、堀英彦さんと荻昌弘さんから話を聞きながら、参加者との交流会が開催されました。