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支倉常長終焉の地、宮城県大郷町で「支倉常長大郷顕彰会」設立




 400年余り前の慶長18年(1613)、伊達政宗の使者として「慶長遣欧使節」を率いて、メキシコとの貿易の許可と宣教師の派遣を求めて太平洋と大西洋を渡り、スペイン国王やローマ法皇に謁見した米沢生まれの支倉常長を顕彰する会「支倉常長大郷顕彰会」(赤間繁幸会長)が2月15日、終焉の地とされる宮城県大郷町で開催されました。
 常長は、7年という歳月を費やして元和6年(1620)8月帰国した時は、幕府の政策が鎖国、キリシタン禁教となっていました。常長は、現在の大郷町に隠棲を命じられ、この地で84年の生涯を終えたと伝えられています。
 大郷町にある支倉常長メモリアルパーク内には、常長の墓とされるものがあり、昭和初期から大谷尋常高等小学校の学校行事として、5、6年生の児童が片道6キロの遠足で墓参りし、墓前で同校教諭が作詞作曲した「支倉常長の歌」を合唱しました。平成2年から同18年まで東成田行政区で「大郷支倉まつり」が行われ、同20年には大郷町まちおこし協議会が主催して「常長公まつり」として顕彰活動が再開しました。この間、同6年には町の事業で「支倉メモリアルパーク」が整備されました。
 今回、大郷町ゆかりの常長の偉業を広く世に伝え、町のブランド力を高め、町民の町に対する誇りを醸成することで、地域活性化と発展に寄与することを目的に「支倉常長大郷顕彰会」を設立する運びとなったものです。
 
 当日は午前10時半から、支倉常長14代当主の支倉正隆氏をはじめ、田中學大郷町長ら約40人が、支倉メモリアルパークにある常長の墓を訪れ、読経供養の中で焼香を行い、「支倉常長の歌」を合唱しました。
 午後1時からは、大郷町文化会館で約150人が集まり、「支倉常長大郷顕彰会設立記念講演&公演」が行われました。
 はじめに、支倉常長大郷顕彰会の赤間繁幸会長が顕彰会設立の目的などを述べ、続いて支倉常長14代支倉正隆氏らがお祝いの言葉を述べた後、役員の紹介が行われました。
 宮城県慶長使節船ミュージアム(サンファン館)館長で、東北大学名誉教授の平川新氏が「支倉常長の歴史的役割ー慶長遣欧使節の世界史的前提ー」と題して、1時間半ほど講演を行いました。
 この中で、平川氏は大航海時代と言われるスペインとポルトガルの覇権争いが行われた16〜17世紀の世界情勢や伊達政宗が常長をスペイン・ローマに派遣した時代背景を説明しました。スペインやポルトガルの植民地となったアジアの多くの国々に対して、幕府が鎖国を行い、長崎の出島で限られた国との貿易を行ったというのは、「世界最強のスペインを日本から追放し、ヨーロッパ列強をコントロールできる軍事大国だった」ことを理由にあげました。鎖国は、「ひ弱で排他的な閉じこもりのように理解されてきましたが、これにより日本主導の貿易統制と出入国管理体制ができた」とし、「出島は日本皇帝(将軍)権力の強大さを示す象徴的な歴史遺産」と述べました。
 残されている常長の肖像画を見ると、袴の下にブラウスを着て指輪をしているなど、中々のファッショナブルな出で立ちを感じさせます。公演では、支倉常長歌と踊りのメドレーが繰り広げられました。

 「支倉常長大郷顕彰会」会員募集中。
  一般会員は会費が無料、但し実費負担(昼食代等)があり。
  特別賛助会員(企業・団体)は年会費1口1万円(何口でも可)。
  問い合わせは、支倉常長大郷顕彰会 赤間繁幸さん
  宮城県大郷町中村字屋鋪22番地1
  携帯 090−2057−9737