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米沢上杉まつりは、4月29日に開幕祭、5月2日の武てい式に続いて、3日にまつりのハイライトである川中島合戦が行われました。
5月3日は午前に「上杉行列」が行われ、市内7小学校と米沢こども園などが参加する鼓笛隊や上杉松岬両神社「御神輿渡御」、上杉砲術隊などが午前9時30分に南部小学校をスタートし、市内をパレードしました。
午前10時30分からは、上杉太鼓保存会、米沢藩古式砲術保存会など、甲冑を着た武者や馬上の上杉謙信などの「上杉軍団行列」が興譲小学校で出発式を行い、米沢駅に向かって威風堂々の姿を披露しました。上杉行列には総勢約1,400名が参加しました。今年、上杉謙信役を務めたのは、米沢市出身で、現在、新潟市在住のモデル業の五十嵐幸子さん(44歳)さんです。「上杉行列」を終えた五十嵐さんは、川中島合戦が行われる松川河川敷でインタビューに応じました。
午後2時から松川河川敷において「川中島合戦」が行われました。永禄4年(1561)秋、上杉謙信と武田信玄の間で行われた戦国史上最大の死闘といわれる戦いを、上杉軍307名(昨年414人)、武田軍232名(昨年339人)の総勢539名(昨年753人)で1時間余りかけて再現しました。
はじめに戦勝祈願として、武田軍が「三献の儀」、上杉軍が「武てい式」を行い、弓矢や火縄銃を発射して合戦が始まりました。両軍からの火縄銃は、「打て」の声とともに会場で大きな音が響き渡り、観客から大きな拍手がおくられました。
川中島合戦のハイライト「三太刀(みたち)」のシーンでは、馬上の謙信がただ一騎で武田本陣に乗り入れ、太刀を振りかざして三度信玄に切りつけると、信玄はそれを軍扇(ぐんせん)で受けました。
その後両軍の死闘が続き、武田軍が苦戦している中、妻女山から下った武田軍別働隊である高坂隊が合戦に加わりました。今年は松川の水量が多く、川渡りは行われませんでした。高坂隊が加わり、上杉軍は武田軍の挟み打ちに遭い、形勢が逆転し始め、隊列が崩れ始めて善光寺に引き上げ、戦国史上最大の戦い「川中島合戦」が幕を閉じました。合戦後は、武者達と観客の記念撮影が行われました。
この日は朝から天気に恵まれ、米沢市での最高気温は19.1℃と、程よい良い気象条件のもと、大勢が川中島合戦を観戦しました。主催者の米沢上杉まつり実行委員会は、上杉行列に6万人(昨年6万人)、川中島合戦に2万5千人(昨年3万人)の計8万5千人(昨年9万人)、また今年の米沢上杉まつり期間中の4月29日から5月3日までの人出は、初日の開幕祭スペシャルパレードに7万人という人出もあり、昨年を大幅に上回る合計22万2千人(昨年16万8千人)と発表しました。