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米沢市教育委員会は、令和3年度から7年度にかけて、文化庁の国庫補助事業を活用して、米沢藩上杉家に伝来した「上杉文書」(米沢市上杉博物館蔵)の調査を行ってきたが、3月15日、置賜総合文化センターホールで、この調査結果に基づき、上杉文書の内容や特徴、国宝「上杉家文書」との関係等について報告するシンポジウムが開催された。
(写真右=絵図に関しての調査が行われている模様)
当日は、定員70名に対して県外からの参加者を含む111名が参加し、上杉文書に関する関心の高さを示した。
(写真左=文書に関しての調査が行われている模様)
「上杉文書」は、旧米沢藩主上杉家から米沢市に譲渡された史料群で、中世史料や近世の米沢藩の藩政史料(公文書)を始め、伊佐早謙の蔵書「林泉文庫」などを含み、文書の他に国絵図や城絵図などの絵図が多く残され、史料の総点数は、文書、絵図を合わせて9,148点に及び、上杉家及び米沢藩研究には欠かせない重要な古文書群となっている。
シンポジウムでは、佐藤哲米沢市教育長の挨拶、米沢市教育委員会から趣旨説明が行われたのち、調査にあたった研究者の中から、3人が発表した。
はじめに、米沢市上杉博物館 上杉文化研究室長の角屋由美子氏が「『上杉文書』の成立と伝来、特徴」と題して述べた。その中で、国宝「上杉家文書」が、関東管領上杉家から上杉謙信に引き継がれた文書を含み、鎌倉時代から明治時代に及ぶ上杉家に伝来した古文書群であるのに対して、「上杉文書」は、伊佐早謙(いさはやけん)の収集物や編纂物であると説明した。
伊佐早謙のプロフィールは、安政5年(1858)生まれ、家は代々、御小納戸組として上杉家に仕えた。藩校興譲館提学、片山一貫の門人として、漢学、教書、詩文等多方面の学問を収め、のちに山形師範学校助教諭、米沢中学校教諭、第2代米沢図書館長などを務め、『山形県史』(大正9年)を編纂したほか、上杉家記録編纂所所員(後に総裁)となり、個人で収集、編纂した膨大な史料群は「林泉文庫」として所蔵した。昭和5年(1930)に伊佐早謙死去後、子息の伊佐早信により上杉家に寄贈され、上杉家は昭和13年(1938)、11,240点を市立米沢図書館に「林泉文庫寄贈書及書目」として寄託された。
その中から、昭和29年、米沢市は1,956部5,062点からなる「上杉家本邸所蔵目録」を購入し、市立米沢図書館によって「上杉文書」と命名した。他に、「市立米沢図書館寄託書目録」、「伊佐早家保留書目録」を、米沢女子短期大学図書館、山形大学教育学部図書館、瑞龍院(龍門文庫)「白鷹町」の3カ所が購入した。
さらに、昭和30年、「上杉文書」に含まない、残る林泉文庫中から郷土に関する書籍を選び、「林泉文庫郷土図書目録」を作成し、現在、市立米沢図書館が所蔵する「林泉文庫」になった。昭和31年、上杉家に留め置かれた分から追加で米沢市が購入したものと、昭和29年に購入した「上杉家本邸所蔵目録」を合わせて、現在の「上杉文書」(旧林泉文庫の一部)になっている。
昭和37年、38年(1962、63)に、新しい目録作成に着手し、福島大学小林清治助教授(当時)の指導により、分類と新番号が付与され、同時に雄松堂フィルム出版有限会社によるマイクロフィルム化がなされ、「上杉文書」の認知度、活用頻度が向上した。また、今回の調査でマイクロフィルムに撮影されていない史料が判明したと述べた。
次に、米沢市上杉博物館学芸員の佐藤正三郎氏が「『米沢藩』研究の多様な展望 2代定勝から9代鷹山へ」と題して発表した。佐藤氏は、今回の調査で、年代、作成者、内容などの1点ずつの目録を記録編成し、詳しい解説が付けられたことで、いつ、どの部署や業務の史料であるかの全体像が把握しやすくなったとした。
「上杉文書」のうち、江戸時代の文書が約6,000点を占め、初代藩主上杉景勝までの史料は、上杉文書中に資料集として知られているが、定勝以降については未利用で、今回初めて詳細が明らかになった史料が多数あると述べた。
例えば、2代定勝の時代では、寛永8年(1631)の侍組の部隊編成、上洛に伴う日記や交際記録、寛永20年、会津藩加藤家の滅封による派兵時の軍勢など、寛政期の藩政を知る貴重なものがある。
佐藤氏は、検索できる電子データとデータベース化により、人名などで特定の業務や書状、書類1点などを見つけることができ、「先祖調べなどでの活用に期待ができる」と述べた。
防衛大学校准教授の友田昌宏氏は、「目録から見える『上杉文書』の可能性 〜幕末維新期を中心に〜」をテーマに発表した。
(写真右=発表する友田昌宏氏)
「上杉文書」1189にある書簡や報告書は、安政元年(1854)から慶応元年(1865)までの史料を張り込んだもので、多くは江戸詰から国許(米沢)に宛てた書簡や報告書だが、安政3年(1856)正月2日の江戸桜田邸火災と白銀邸への避難や元治元年(1864)8月頃、上杉斉憲の政事総裁職就任、幕政参与要請をめぐることに関する内容は、一部の史料を除いて『上杉家御年譜 十七 斉憲公(3)』には未収録であり、極めて重要と述べた。
さらに、幕末維新期では、戊辰戦争期の史料が多く、米沢藩が戦線から退却し降伏するにいたる7月下旬以降が多いとした。友田氏は、これまでの奥羽戊辰戦争の研究は、「列藩同盟結成から戦争に至る過程に関心が集中し、同盟が瓦解し、同盟諸藩が降伏するに至る過程、降伏後の諸藩の動向等には光が当てられていない」とし、その理由として、「カッコ良くないからあまりやっている人がいない」と述べた。そのため、「上杉文書」が戊辰戦争研究進展に寄与する可能性に言及した。
伊佐早謙の史料収集に関して、旧藩士家から一括して文書を借り受け、それが「上杉文書」に混入した模様とし、幕末維新期で注目すべきは、斉藤家(幕末・維新期は斉藤篤信が当主)の文書とした。篤信は、戊辰戦争で軍務参謀を務め、後に山形県師範学校長、学習院教授補となった人物。
続くパネルディスカッションは、米沢市上杉博物館学芸員の阿部哲人氏が司会を行い、発表者3名に加えて調査に当たった元仙台市史編纂室長の菅野正道氏で行われ、調査の5年間を振り返り、どのような方法で調査が行われたか、調査で得られた成果、上杉文書の特徴などについて話し合われた。
菅野氏は、今回の調査を「目録作成の仕事がないと展示ができない。様々な関係者、協力者を得て進めたというのは文化的に大きな仕事だった」と振り返り、また伊佐早謙については、「(史料の)元の状態を破壊したりと今の視点では問題はあるが、幅広い視野と人脈で沢山の史料を集め、調査してまとめたことは、大変に大きな仕事をしてくれた」と評価した。

会場の入口付近では、調査報告書やデータベース化された絵図などが展示された。調査報告書は、販売はされていないが、市立米沢図書館、米沢市上杉博物館などで見る事ができる。
(写真右=置賜総合文化センター会場入り口で展示された絵図のデータベースと調査報告書など)