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戦国武将、上杉謙信旗揚げの地として知られる新潟県長岡市栃尾において、同地域の歴史、文化を学習し、同地域を訪れた人の案内ガイド、市民を対象にした講演会の開催等の活動を行っている栃尾観光ガイドクラブ(北郷昌明会長)は、9月20日、長岡市栃尾産業交流センターを会場に、令和7年度市民歴史学習会を開催し、当日は130名の市民が集まりました。講演に先立って、同ガイドクラブ会長の北郷昌明氏が挨拶を行いました。
講師を務めたのは、新潟県文化財保護連盟理事で、地元栃尾にある曹洞宗瑞雲寺前住職の石田哲彌氏で、「知られざる栃尾・会津・米沢における上杉家の壮大な物語〜上杉謙信(上杉家)と栃尾・会津・米沢の関係〜」と題して、1時間半にわたり講演を行いました。
講演では、上杉謙信亡きあと、義兄である上杉景虎と上杉景勝が争った御館の乱の構図は、上杉家主流の栖吉長尾氏(栃尾城)対傍流の長尾政景(坂戸城)の40年にわたる怨念の対決であるとし、栖吉長尾氏側は小田原北条氏から謙信の養子となった上杉景虎側に立ち、上田長尾氏から同じく謙信の養子となった上杉景勝と対決したものと解説しました。
さらに講演の後半で石田氏は、謙信が栃尾時代に師とした人物に関して、これまでの通説では、「(泰簾)門察和尚」とされてきましたが、栃尾にあった瑞麟寺住職の年譜を照らし合わせると、「樵岩恕昂(しょうがんじょこう)和尚」であると述べました。この事実に気づいた人はいましたが、歴史を変えることの恐ろしさから言い出せなかったものと考えられるとしました。