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「思うがまゝに言うがまゝに」(第1回)遠藤武彦

「南アフリカでの国際会議後の夕食時
           小泉首相が突然、“北朝鮮に行く”と、皆を驚かす」

「政界引退を機に、あらゆる役職(顧問・相談役・理事・委員等々)を返上した。文字通りタダの人となった。タダの人に戻りたくて政界を引退した。やり残したことはあったが、思い残したことはない。
 毎週五日間で、芋焼酎2ℓ2本、髭のニッカ1本を通飲し、飲み干し、タダの人となって、誰れに遠慮することなく、放埒三昧、言いたい放題、思うがまゝにやりたい放題の日々、やや我慢はしてても腹は減る。毎日、女房殿の手料理に腹は膨れるばかりのポコテン腹。やりたい放題、言いたい放題とは言え、まゝならぬは女房殿。20年の東京チョンガー暮らし。勝手判らぬわが家。「それはダメ」「それもダメ」の連発打。何しろ20年間の選挙未亡人。ただただ平伏。這いつくばってひたすら恭順の日々。願わくば、「どうか俺より先に逝かないでくれ」。これあるのみ。
 いつも世界旅行、グルメの旅の日を愉しんでいる。現役時代、ロクにTVも観なかった。今は毎日、TVの旅とグルメ番組を楽しんでいる。出張・視察で訪れた世界各地の町並とグルメを思い出してはくそ笑いでいる毎日。こんなに旅グルメ・韓流ドラマが多いとは。全く知らなかった。世相を観てとれる。」(序)

 この度、米沢日報よりの依頼で同紙上に私の自叙伝を書き下ろしで掲載することになった。誠に恐縮の至りである。浅学非才であることを承知の上で、しばらくの間紙面をお借りしたいと思っている。
 山形県議会議員に当選した昭和50年4月から代議士を引退した平成21年7月までの35年間、私は「流汗拓道」を信条として、「地方がよくならなければ国がよくなるはずがない」とひたすら日本と地域の発展を期して政治の道を真っすぐに歩んできた。その間、支援者の方々、そして議員の先輩・同僚からと、ご指導とご支援を頂いて「群れず、組みせず、混わらず」を貫いて思う存分に仕事ができたと思うと誠に感謝に耐えない。本来であれば、お一人おひとりにお礼を申し上げるべきだが、残念ながらそれは叶わない。したがって、この自叙伝を通してこういった方々へ少しでもお礼返しをしてみたいと考えたのである。
 日本経済新聞に、「私の履歴書」というコーナーがある。ここには日本を代表するそうそうたる人たちがほぼ1ヶ月にわたり自叙伝を掲載されている。ある人が政治、経済、文化などで成功を収める人たちに共通するものがあるに違いないと考えて、その共通する特徴を取り纏めたことがあるそうだ。
 それによれば、一つ目は良き妻(糟糖の妻)に恵まれること。二つ目は親孝行であること。三つ目は先祖を敬う念が強いこと。四つ目は良き友人に恵まれること。最後に、五つ目が逆境にあってもプラス思考の持ち主であること、というのが共通するものとしてあげられていた。なるほどと思った。しかしながら、私には当てはまらないものが少なからずある。

 さて、私は長い政治生活の中でいろいろな出来事に遭遇したが、この時ばかりは腰を抜かさんほど驚いたことがある。それは平成14年(2002)年8月26日から9月4日まで南アフリカ共和国ヨハネスブルグで開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議の際の事である。国際連合によって開催されたもので、地球環境問題を話し合う国際会議だった。私はその時、第一次小泉内閣で農林水産副大臣を拝命してから、小泉首相ほか、大臣などとともに参加したのである。

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ヨハネスブルクでの世界首脳会議で演説する小泉首相(右隣りが筆者)

 首脳による会議は9月2日から9月4日まで行われたがその最終日の夜のことだった。日本からの参加者で、夕食を食べようということになりヨハネスブルクにある日本料理店に行った。私の隣に小泉純一郎首相、その隣が安倍晋三官房副長官、飯島首相秘書官と座り、私の向かいには川口順子外務大臣、大木弘環境庁長官、榊駐南アフリカ大使が座った。食事をしていたら暫くして、小泉首相がいきなり、「これから北朝鮮に行く」と言った。いきなりの話だったから皆がびっくりした。川口外務大臣でさえ知らなかったのだ。私も脇で聞いていて本当に驚いてしまった。その場で知っていたのは、安倍晋三官房副長官と飯島首相秘書官の二人だったのではないかと思う。
 小泉首相は南アフリカから帰国早々、北朝鮮に行く前に渡米して、9月7日にブッシュ大統領と会い、仁義を切った。それはアメリカの力を背景に金正日総書記に会うという思惑もあったからだろう。その結果、9月17日に、小泉首相と金正日総書記の日朝首脳会談が平壌で行われ、北朝鮮側は初めて日本人拉致を認めて謝罪した。10月15日には、5人の日本人拉致被害者が24年振りに日本に帰国、大ニュースになったことは記憶にあたらしい。ヨハネスブルクでの話はその正にその直前の話だった。私の長い政治家生活の中でも忘れられない大きな出来事だった。いま思い出しても感慨無量である。その後、私は衆議院拉致問題対策委員長になった。
 次回からは、私の生い立ちから自叙伝を進めていくことにする。(元農林水産大臣、米沢市在住)

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