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「思うがまゝに言うがまゝに」(第9回)遠藤武彦

「学級担任が不在の間、
      朝テストなどクラスで自主運営」

 米沢市立第一中学校2年生の時の担任は薄木昭夫先生だった。理工系の先生で、国の調査研究に参加するという理由から、2年生後半から3年生にかけての半年間、担任教師が不在となってしまった。その間、音楽の女性の先生が臨時的に担任を受け持ったが、ガキ大将だった私は先生から担任不在の間、50人近い学級の面倒を見るように言われて、全員をまとめたことがあった。薄木昭夫先生はいまもご健在である。
 間もなく古希を迎える私だが、この担任不在の中学時代の体験は、その後の私の人生や人間形成においてなくてはならない重要な時期であったと思う。
 担任不在のクラス運営の中で、大いに力になってくれたのは今は亡き、畏友、米沢市相生町にある長谷部鳥肉店の親戚の長谷部泰庸君と藤倉伊勢男君(金池愛染そば屋店主、故人)、米沢ドライビングスクール社長の猪俣吉市君など。エラぶって強権的な私に代わって実質的にクラスをまとめてくれていたのは沈着な長谷部君、やんちゃで人気者の藤倉君ではなかったかと今つくづくと思う。
 3年生の時には生徒会長の選挙があって、私は選挙運動をおこない多数の得票を得て生徒会長になった。私にとってその後の人生に大きな影響を与えた出来事だった。
 生徒会長になった私は、自分で言うのもおかしいが、それはかなり独裁的だった。第一番に、〝やんちゃ〟と言うか、〝はっちゃけ〟と言うか、やりたいことをやったというのが正直なところだ。
 担任不在のときに、クラスが駄目になったとは言わせないということで、私達がすべてを自主運営したのだ。朝のホームルームの時間には、朝テストと称してこれを自発的にやったのである。だから一学年8クラスの中で、私のクラスの成績はいつもトップだったのではなかろうか。

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昭和25年当時の米沢市立第一中学校「学び舎は心のふるさと」より(写真提供 同第一中学校)

 なぜ、このような話を持ち出したかというと、いま学校ではイジメとか、学級崩壊とか言っている。
 私達の小、中学校時代はイジメというのがなかった。ガキ大将というのはいたが、ガキ大将は寧ろ、イジメられそうな子の庇護者になり、弱い子がいればそれをかばっていた。いま、イジメや体罰が原因で自殺したということを聞くと非常に悲しく、残念な気持ちになる。
 江戸時代は15歳で元服した。その頃は今の中学校3年か、高校1年の年頃である。あの時代はもうその年齢で大人だと看做される。そのために、子供も自分はどうやって成長していかなければならないのか真剣に考えただろうし、親も子供の躾に厳しかっただろう。子供もそれなりの人生観や目標を持つというのは、今の子供より早い段階で目指すものをきちっと見つけていたのではないかと思う。
 今の時代の問題は、父親、母親としての能力を身に付けずに、父親、母親になることだ。昔は兄弟が多かったから子守りというのがあって、自分の下の子守りしながら子供の扱い方を自然に覚えていった。しかし、今は一人っ子でそれがない。子供を育てられなかったり、扱いに困って、暴力を振るったり、ネグレクト(無視)したりと、様々な虐待を加えたりする。
「もう一度、やり直せぬかコの親を」
(サラ川・読み人知らず)
 いまの若者たちは、世間の手続きやルールのようなものを重要視していないものが増えている。結婚式でも仲人を立てるということがなく、ただフィーリングが合うからと言っては結婚し、一緒になっても合わないと離婚も早い。自分という標準しかないから、こういった行動になってしまっているのかなと思っている。(元農林水産大臣、米沢市在住)
 
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